ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

四十九日の最後の日に見た三浦春馬くん

 
  白い人達が忙しく作業している光景を見て、私は春馬くんが地上を去ったら、こうして働いていくのかなぁ、とぼんやりと思いました。

  私の中で、神が春馬くんの魂を救ってくださった、と不思議な確信のようなものがありましたので、もう何の心配もしていませんでした。


  亡くなってからそれまでに私が感じた春馬くんは、屈託のない三日月型の目で楽しそうに笑っている明るい人でした。色んな拘束から解放されて喜びに満ちた無邪気な素の春馬くんだと感じました。春馬くんってこんなにも天真爛漫で楽しい人なんだなぁ、って思いました。この姿を見て、尚更、春馬くんの魂はキリストの血によって贖われ、罪の赦しを受けたのだと受け止めたのです。

  春馬くんの心は、地上の煩いや苦しみや様々な事から解放されて新しくなっている気がします。春馬くんから、何の暗いものを感じ取る事が出来ませんでした。嘆きも恨みも悲しみも残っていません。ただ、喜びと感謝だけです。

  芸能界をやめたいと思っていた思いは、芸能人だからこそ日本中の人々に悼んでもらえて愛してもらえたという事に気づき、改めて感謝でいっぱいになり、辛かった事は肉体とともに消えて、悔いもなく、春馬くんを縛るものは何もありません。

  地上の生活を終えた春馬くんには、お金も意味を持たないものとなっています。心残りな事も無く、自由になった喜びに子供のように無邪気で陽気でした。自死した人とは思えない様子でした。死と常に隣り合わせで生きてきた春馬くんにとって、今は快適なようです。肉体の死によって、死の恐怖から助け出された安堵感のようなものがありました。

  どう説明していいのか全くわかりませんが、春馬くんの魂は救いを受け、永遠に生きるいのちを神からいただく恵みを受けたのです。もう闇が春馬くんを脅かすことは無くなりました。自死者に考え難い事ですが、春馬くんの魂は救いを得ているのです。

  最後の日地上から旅立つ時、楽しそうな明るい様子は消え、目に力がなく何か深く考えているような30歳の等身大の春馬くんでした。地上から去る事の不安や寂しさとも違う、これは一体どうした事かと私の中で引っかかった状態でした。

  ブログを書き始めた事でわかってきました。白い人の働きに参加した時、この後の事を知らされたのでしょう。春馬くんの死が与える影響。春馬くん自身は魂の救いを得たけれど、春馬くんの死をきっかけに自死する人が起こり、その人達は決して春馬くんのいる所に来れないばかりか、永遠に闇に閉じ込められる事。それを知った時、初めて自分が犯した罪を認識したのでしょう。

  春馬くんの死に結びつく魂への責任。自身を死に至らせた事で多くの人の魂を死に追いやってしまう事は、春馬くんの罪となり、自身の罪が増し加わるという事でもあるのです。春馬くんはその罪の重さに愕然とした事でしょう。その人達の命の責任を知った時、自分の罪がわかり、自責の念が生まれたと思います。

  春馬くんは今、皆さんに死を選ばないように生きて欲しい。命を大切にして欲しい、滅ぶ者ではなく、生かしてくださるいのち(神)に出会って重荷をおろして欲しい、と始終祈り続け、それと共に自死の罪を心から悔い改めていると私は感じました。

  死を見続ける事は、春馬くんを苦しめる事だと思います。春馬くんは霊の世界で皆さんの祝福を願って、光を見て欲しい、いのちを得るために生きて欲しいと切に切に願っていると思います。

  春馬くんの魂は、神のみもとに帰る聖い魂です。永遠のいのちを得なければ、春馬くんのところに行くことはできないと思います。

 

 

    著作本 『世界のベストセラー聖書を読み解く 人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

    アマゾンkindle、紙書籍(オンデマンド印刷)、楽天kobo