27年前にお聞きしたある牧師のお話です。記憶を手繰り寄せて書いてみます。
丸まった背中はお先真っ暗な人生的な無力感が漂い、お酒をあびるように飲み、退廃的で、無価値に感じる父親でした。
父親が大っ嫌いでした。家族の恥であり、軽蔑していました。地上ではその人が自分の父親だけど、その人が自分の内臓を作ったり骨を組み立てたわけではなく、自分を造り自分に命を与え生んでくださった天の父がいる事を知り、慰められました。情けない父親とは違い、完璧な天の父の子どもである事に喜びと誇りを持ちました。この本物の父を喜ばせるために、また本当の父と一緒にいたくて牧師になりました。
天の父の愛に、家族が負った苦しみも癒されていきます。家族にこの父の赦しと愛、キリストの福音を伝えました。家族のうちに慰めと安らぎが訪れました。
でも、父親には絶対天国に来てもらいたくない。父親には決してキリストの福音を話しません。話すものか、と思っていました。
以前、父親は役場で係長をしている、真面目な勤め人でした。ところが横領罪で刑務所に入り刑期を終え、家に帰ってきてからこのざまです。世間で家族がどんなに惨めでつらい思いをしてきたことか!
こんな父親は絶対赦すことは出来ない。それから何年も経ち、その頃の父親と同じ年代になりました。家族を得て、子供を育て家族を養う父親としての責任を負うことを日々学んでいた頃の事です。
日課の祈りの時に、思い出したくもない、丸まった父親の背中の映像がはっきりと脳裏に浮かびました。あの時の感情がよみがえります。父親を恥と思い父親を消し去りたい強い思いと、父親のせいでアイデンティティが傷つき、自分の存在もが恥だった事等、若かったあの時の感情がそのまま、あのころの父親と同じ年代になった自分を飲み尽くします。
その時、はっきりと厳しい口調で語る神のことばが投げ掛けられました。本物の父、天の父の声です。
「おまえにこの男の悲しみがわかるか!」
その声と同時に映像が走馬灯のように流れました。役場で働く若き日の父親を見ました。課長に可愛がられ係長に昇進した父親は、自分は力の無い者なのに課長のお陰だと心から感謝し課長を慕っていました。そんな時課長は横領の罪を犯し、係長の父親に罪を身代わって欲しいと懇願しました。君のために課長の席を空けて刑期を終えるのを待っていると固い約束を交わしました。課長を信じ、課長となって家族を喜ばせるために父親は刑務所に入りました。
刑期を終え、喜び勇んで昇進した課長のもとに行きました。課長は罪びと呼ばわりして、父親を追い返しました。「横領はおまえがしたのだ。だから刑務所に入ったんだろう。」と知らぬ存ぜぬです。
家に帰った父親はすべてを失った事を悟りました。信頼していた課長を信じた先にあったものは無気力でした。家族にこの話をする事はありませんでした。息子からの非難の風を全身に受けつつ、課長を責め自分を責め、家族に蔑まれて当然の抜け殻の自分が残っただけでした。
神は彼を蔑んではいませんでした。彼の深い悲しみを見て痛んでおられました。牧師である息子に、父親の悲しみではなく、”この男の悲しみ”といわれました。父親の年代になった牧師に、おまえと同じひとりの男が悲しんでいるんだと分からせて下さったのです。
牧師はひとりの男として、ひとりの男の父親を理解し心の錆は一気に落ちました。牧師は父親にキリストを伝え、父親をキリストにある兄弟として迎えたのです。
この証を聞いて、神は人の悩みの原因までもなんでも知っておられるんだと思いました。キリストはクリスチャンだけの神ではなく、キリストは人のことをその人の深みまで知っておられる神。信じていない人にとっても神。人が神と認めるから神ではなくて、すべてを造られすべてを知る天の神なんだと知りました。
天の神は信じていない人の事も知り尽くし、死の呪いから解放したい、死なないいのちを得て欲しいと今日も願って、一人一人を見守っておられるんでしょうね。
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