ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

自分に正直に生きる


  自分を慈しむ心が、私の内に宿ると強い味方を得たようでした。一番身近な人が私を信頼してくれている事は、何事にも動じない者としてくれます。恐れが無くなります。

  死のその瞬間まで離れないで、いつもどこでもいつまでも共にいてくれる、唯一のかけがえのない人です。その事に思い至りました。

  大切にしなくては。私が愛さないで誰が私を愛してくれるのか。私のために働いてくれる手、私を運んでくれる足。他のどんな手足よりも私に良くしてくれる、私の人生に最も必要なものだった。

  見栄えだけで嫌ったり蔑んでいたけれど、やっと気づいた。あなた達のおかげで生活出来ていた事に。本当にありがとう。私がけなしても文句ひとつ言わず、私のために働き続けてくれていました。

  自分自身を神に感謝出来るようになったら、心はおおらかになりました。優しい気持ちになりました。すると、内にいる私も、私の失敗に顔を曇らせないで、大丈夫!って励ましたり応援してくれるようになりました。

  思い出しました。クリスチャンになって間もない頃、私は正直でありたい、って祈っていた事を。裸の王様に「裸の王様だ。」って叫んだ男の子のようになりたい。「他の人みんなが白!って言っても、黒に見えたなら黒!って思える者とならせて下さい。」「他の人に合わせて自分自身で感じた事を偽る事がありませんように。正直な目と耳、心を下さい。」

  いつの間にか、人を恐れ自分を偽る者になっていた。それで、傷つき苦しみ悲しむ者になりました。

  本当の自分を取り戻したら、そういった矛盾から来る葛藤は無くなり、自分が嫌いでは無くなりました。

  自分を大切にする事で、他の人との摩擦が生じ生きづらくなった事もあるけれど、一番近い私自身との関係には亀裂が生じる事が無くなりました。

  とっても生き易くなりました。人に嫌われる事、憎まれる対象になる事もありますが、私自身は自己の絆が固くなり、冷静に判断出来るようになって来ました。


  一人の時間を楽しむ事が出来、心に安らぎがあります。

  自分達と同じようにしない私に腹を立てて無視したり、意地悪する人もいました。でもへこたれません。本当の私(無意識層の自分)が正直な私を認めてくれているからです。

  動じない私を苦々しく思う人もいるでしょうが、時間が経つと人は気にしなくなるようです。この人はこういう人なんだ、って理解してくれるようです。

  出来事に翻弄されて右往左往していた時代の私は、神の取り扱いのもとで、少しずつですが、確かに変化して来ました。

  自分に正直になったら、歪んでいた感覚が少しずつですが健康になって来て、神の御心が以前よりは見えるようになって来たように感じます。

  私の内に分裂がなく平和になったら、人の本質を感じ取れる気がして来ました。この人こんな事を言っているけれど本当はああなんじゃないのかな。神がその人をどう見ておられるのかの神の視点が感じ取れる事も時々ある気がします。

  自分に正直に生きる事は神が望んでおられる事だと思います。

 

 

    著作本 『世界のベストセラー聖書を読み解く 人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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