ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖霊を受ける



  水のバプテスマを受けて、一週間後の事でした。牧師から、「天国に行く確信はありますか?」と尋ねられました。

  罪赦され、救われた喜びに心は弾んでいましたが、天国に行くっていう事の確信は持てません。罪が赦された解放感はあるけど、天国に入るほど聖くはないという自覚がありました。

  牧師が「聖霊を受けますか?」と言われました。「それは何ですか?」と尋ねました。ではこれから、聖霊のバプテスマのために祈りましょう、っていう事になって、一緒に受洗した人々と共に祈り始めました。牧師ご夫妻が手を置いて祈って下さいました。

  「聖霊様をお迎えします、と言って下さい」と牧師ご夫妻に促されます。どうしたらいいのか、勝手が分からず牧師の言われるまま祈るのですが何の手応えも無く時間ばかりが過ぎていきます。

  正座した足も痺れて痛くなり、もう限界です。(私はイエス様を信じると言って水のバプテスマを受けたけど、本当は信じていなかったのではないのか?)と自問し始めました。

  足の感覚が無くなりました。(神様、今日じゃなくていいです。またにして下さい)と思うのですが、牧師ご夫妻の熱心な祈りを聞いていたらそういう訳にはいきません。

  「イエス様、助けて下さい。イエス様は何となく分かるし想像できるけど、聖霊ってどんな方ですか?分かりません」と心の中で叫んだ時の事でした。

  はっきりと映像が見えました。大勢の群衆が見えました。その間をイエス様が等身大の十字架を背負ってドロローサの道をよたよたと辛そうに歩んでおられます。大勢の人が押し寄せてイエス様の前にも後ろにも群がっていて、歩む道は塞がっています。

  人々は口々にイエス様を罵倒しています。激しく呪い嘲っていました。イエス様はその真ん中をうつ向いて一歩一歩倒れそうになりながら黙々と歩んでおられます。

  私の心は悲しみと怒りでいっぱいになって、その群衆に向かって叫びました。「あなた達の罪のためにイエス様は十字架にかかるのよ!あなた達の身代わりとなって神から呪われて下さるんだよ!」それなのに、なんてひどい。なんて罰当たりな事をするのかと群衆に抗議の目を向けたその時でした。

  私のすべての感情はストップしました。 

  その群衆の中に私の顔を見たのです。私の顔だけがカラーに見えました。私の目は、映像に浮かぶ私の顔に釘付けになりました。

  映像の中の私は、激しくイエスを罵っています。顔を大きくゆがめてイエスを憎み呪っていました。力の限りを尽くして叫んでいました。

  映像を見ている私の思考は止まりました。今どこに居るのか、何をしているのかもすっかり飛んでしまいました。

  イエス様を十字架につけたのは私でした。私がイエス様を十字架につけたのです。二千年前私はそこに居て、イエスを激しく呪う者だったのです。

  打ちのめされました。自分の罪深さに絶望し肩を落としました。神にどう謝罪したらいいのか分からず「ごめんなさい。私を赦して下さい。私の罪を赦して下さい」と神を畏れ、神の御前でひれ伏して赦しを請う私がそこにいました。

  その時です。私の舌が自分の意思とは関係なく、聖霊によって震えました。神の国のことばを語る新しい者とするために、御霊が私の内に来られたのです。

  牧師ご夫妻は「受けましたよ。聖霊のバプテスマを受けましたよ。」と喜んで下さいました。そのあと残りの三人も受けました。二時間位が経っていたでしょうか。

  水のバプテスマを受けた時には、目の濁りが取れたように鮮やかに目に飛び込んできて、見るものすべてが輝いて見えた体験をしました。受洗した後でこの体験をする人は多いようです。

  聖霊のバプテスマを受けて、天国に行く確信が得られました。疑う事が難しいほどに、霊が目覚め意識が新しくなりました。これがイエスが約束されていた聖霊であり、天に生きる者として新しく生まれるっていう事なんだと、身をもって知りました。