ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

主に愛される兄弟


  日曜日の朝は、テレビ番組『ライフ・ライン』の視聴から始めます。クリスチャンの証の番組です。

  今日は、代々木公園で20年間ホームレスをしていた男性のお話でした。

  お弁当をもらうために集まって来ます。お弁当を配る教会の人達の明るく幸せそうな雰囲気に不思議な気持ちを持ちながら、その人はそこに居たそうです。

  ある時、目に見えない神を信じるって事はどうしたらいいのか分からないけど、神がいるなら信じてみたい、と思ったそうです。

  信じる告白をしたものの、ホームレスの生活から集団生活の新しい環境になじめずに、ホームレスに舞い戻りました。

  病気も患い、自分には家族も職も何も無い、自分は独りぼっちだとうずくまっていた時です。「わたしが居るよ」とイエスの声が聞こえた、と言います。

  自分の方から、イエスを離れたのに、イエスは自分から離れていなかった。イエスは、何も無い独りぼっちだと思っていた自分とともにいて下さったと知りました。

  神に降参しました。「降参します」と神に自分を明け渡した時が、本当に神を信じた時だった、と言われました。

  ホームレスを卒業し、今はホームレスの人々にお弁当を手渡すお手伝いをしておられます。今では神のうちにある喜びと幸せを感じ、かつて不思議だったクリスチャン達の喜びを自分も味わう者となった事に気づきました。

  今、この兄弟はガンを患っています。次から次へと襲ってくる病気に、恨み言はありません。死への恐れもありません。

  神が何のために自分にガンという病気を与えられたのか、その意味を知りたいと言います。

  この兄弟は神の子になりました。神とともにおられます。「神が一番。」これが、この兄弟の口癖です。

  周囲のクリスチャン達は、この兄弟の変化に驚いておられました。以前この兄弟がホームレスだったと信じられないくらいです、との感想でした。 

  ともに奉仕しているクリスチャン達は、この兄弟が話す言葉で胸がじ~んとする、と言っておられました。この人の信仰はぶれない、とも言っておられました。

  確かに番組の中で話している一つ一つの言葉に、神を感じるのです。


  私は以前、どうしたら、神からずれないでいられるだろうと、ずっと考えていました。そんな時に観たあるテレビ番組で、アクロバット飛行のパイロットにインタビューをしていました。

  「目が回りませんか?」アメリカ人の女性パイロットは答えました。「一点だけを見つめているから、目が回る事はありません。もし、視点を変えたらたちまち正常な飛行は出来なくなるでしょう。」

  私は(これだ‼)、と思いました。祈りの答えをテレビ番組の中の誰かの発言で受ける事は多々あります。

  イエスキリストだけに目を向けたら、信仰はズレる事は無いと思いました。このホームレスだった兄弟は神が一番、といつも神に意識を向けておられるのでしょう。


  聖書の中の記事です。 
  イエスをもてなすために多くの奉仕にあくせくするマルタは、イエスの足元に座って一心にイエスのことばに耳を傾け、みことばに聞き入っていた妹のマリアをイエスに訴えました。

  「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におしゃって下さい。」

  イエスは言われました。「マルタ、マルタ。あなたは、色々な事を心配して気を使っています。でも、どうしても必要な事はわずか、いや、一つだけです。マリアはその良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

  イエスのそばにいて、イエスの言葉に聞き入っていたマリアは、神を深く知る者となりました。それで、このマリアはイエスの埋葬の用意に、高価なナルド油の香油をイエスの足に注いだのです。

  イエスから十字架にかかる話を聞いても、何の事なのかイエスの話を理解出来なかった弟子達に囲まれている中で、マリアは埋葬の準備をしたのでした。

  姉のマルタの手伝いをせずに気の利かないマリアが、イエスの十字架前の大事な働きをしたのでした。マリアは神に役立つ者だったのです。

  ホームレスだったこの兄弟は、本当に良いものを選んでいるのでしょう。この世の患いでは無く、ガンを抱えながら、ただ一心にイエスのことばに耳を傾けているのでしょう。

  神はこの兄弟に病気を与える事で、神に降参させて、神の息子として迎え入れられたのでした。

  ガンを患い、死とともにある兄弟が恨み言も嘆きも無く、益々神を愛する者とされていく姿がクリスチャンの信仰を鼓舞し、キリストを見せてくれているのだと思います。

  彼は長い間自分の存在意義が分からずに生きて来られましたが、神に降参すると、彼自身が神の恵みと慈しみを現す、義の器となったのでした。

  神と心一つである、主に愛される兄弟の存在をテレビで観る事が出来ました。