ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

平和の神様と戦争の神様


  神学校で学んでいる時、同級生の木村兄弟が話してくれました。

  星新一の「ショートショート」の中のお話だそうです。

  二人の神様がいました。一人は、美しく輝く白い衣を身にまとい、静かに微笑みをたたえています。その顔は優しく微笑み、その姿は清らかで美しい。何の汚れもありません。

  もう一人の神様は、服はボロボロ体じゅうが傷だらけです。目は鋭くギラギラとしており、あちらこちらを忙しく見渡して落ち着きがありません。

  「さあ、どちらが平和の神様で、どちらが戦争の神様でしょう?」

  汚れもなく清らかで美しい神様は、平和そうだ。微笑みは平和の象徴だと思いました。でも、わざわざ聞くという事は何かあるな。どっちなんだろう、と考え込んでしまいました。

  私が考えあぐねているのを見て、木村兄は言いました。

  「微笑んでいる方が平和の神様に思うよね。でも、逆なんだ。平和の神様は争いのある所に行っては、止めに入り、体じゅうが傷だらけになるんだ。」

  「戦争の神様は、人々が争っているのを微笑みながら静かに見ているだけなんだ。」

  う~ん、そうかぁ。目に見えるところと、心のうちにあることは逆なんだ。本当に平和を求める神様は、平和であるために戦い続けているんだ。

  争いが好きな戦争の神様は、人の欲望のまま争っているのを何もしないでただ見ているだけなんだ。

  自分自身が傷つく事を気にせず、戦争の中に入っていって止めようとする平和の神様。

  人々が傷つく事を気にせず、人の欲望の膨張するままに放っておき、その果てに起きる戦争を微笑んで眺める戦争の神様。

  本当の神様は、人々が傷つくのを望んではおられない。キリストは人々が罪の中で死なないために、人々の罪の代わりにキリストご自身が死んで墓に入られた。

  平和の神様は、人々を生かすために存在し、戦争の神様は、人々を殺すために存在する。

  神と呼ばれるものは多いけれど、人を造られた神様はただひとり。人を造られた神は、人が死んだり滅んだりするのを望んではおられない。

  創造主は、人を愛し、人をよく知る神。欲望にまみれた世で苦しむ人々、嘆く人々の心を造り替え、平和を愛する者、いのちを得る者として下さる。

  創造主の与えるいのちは、肉体を長引かす命ではなくて、肉体を脱いでも永遠に生きるいのち、天で生きる永遠のいのちなのです。

  この世の君である悪魔は常に戦いを挑み、破壊を楽しんでいます。それが、彼らの食べ物だからです。

  そして、悪魔は、神はおひとりだと信じて、神が用意しておられる裁き(最後の裁き)に震えおののいているのです。