ある姉妹から聞いた証です。
まず、結婚が決まったと報告してくれました。初めてお話した姉妹だったと思います。そして、結婚に至ったいきさつを話してくれたのです。
彼女は結婚のために祈っていました。「神が導かれる人と巡り合えますように。神の御心の人と結婚できますように。」「その人を神が教えて下さい。私が神からの夫を正しく知る事ができますように。」
姉妹は、祈りを積みあげていました。ある時、同じ教会のある兄弟を示して「これだ。この人があなたの夫になる人だ」と語られたのです。
いつも見ていた兄弟なのに、結婚相手として見た事はありませんでした。ただ、神が定めておられる男性と結婚したいと願っていた姉妹は、自分で探したり、自分の好ましい人を意識したりはしていませんでした。
ただ、神にその答えを求めていました。その結果、神が示されたのがその兄弟だったのです。
この兄弟なのかぁ。それから、その兄弟が姉妹にとって慕わしい人、大切な人となりました。でも、自分からは、兄弟に言いませんでした。
彼女は祈りました。「この兄弟が本当に神が導かれる私の夫ならば、この結婚の事を兄弟にも示して下さい。」「兄弟の方から私との結婚が示されたから、そのために祈って下さい、と言わせて下さい。」
彼女は祈り続けていました。神からのものなら、神がそのように働いて下さるに違いない。神から始まったものを自分でし遂げる事はせずに、神にゆだねました。
しばらくして兄弟から、ちょっとお話がある、と言われました。兄弟の感情ではなく、自信なさげな様子の報告でした。
「実は、神に祈っていたら、あなたが僕の妻になる人だ、と示されました。本当に神からのものなのかどうか、あなたも祈ってみて下さい」と言うのです。
姉妹はすぐに、「私も示されています」と、今までのいきさつを兄弟にお話ししたというのです。
私はこんな祈りもあるのだ、と感動して聞いていました。
多くのクリスチャンは神を信じていながら、こと結婚となると、自分の意思を通し勝ちです。「この人と結婚しますので、神様、この結婚を祝福して下さい。」
感情が伴う事柄を全面的に、神にゆだねる事は大変難しい事です。結婚も子育てもそうです。
なんて良い証を聞いたんだろう。こんな信仰もあるんだなあ。私には真似が出来ない信仰だ、と思いました。
父と母を離れて二人は一心同体となる、という結婚する男女を表現する言葉が聖書にあります。夫婦は一体だというのです。神の教えでは、夫婦が基本です。
愛を育てるのも、困難に立ち向かうのも夫婦という特別な関係の中での学びのようです。キリストとの関係もキリストと人との結婚としてあらわしています。
ある結婚している兄弟の証です。二人は一心同体となるって聖書にあるから、結婚したら、自然に一心同体、一つとなると思っていました。でも、結婚して分かった事は努力しなければそうはならない事、二人で共に努力して一つにされていくものなのだという事が分かりました、というのです。
そうかぁ。神に叩かれ削られして、整えられていくのだな、と思いました。「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる」という聖句があります。
自分の強情と同じ硬さの人と合わされて磨かれるのですね。
結婚した時点で、その結婚相手が神の御心の人とされる、という考え方もあります。
スタートはどうであれ、二人の間に神をお迎えして、神を信頼できる相談者として迎え、神に仲介していただくならば、神の平和が宿る家庭へと、神が愛と赦しをもって育てていかれるのでしょうね。