ある人は、手のひらを太陽にかざした時、透けて見えた細い血管に、これは偶然できた産物ではない、造った方がおられると直感で受け止めて、神を信じました。
テレビ番組で、手のひら、足裏のしわの事をやっていました。
手のひらにしわが無ければ、つるつるすべって物がうまく持てません。コップから水を飲むのも一苦労。手のひらが濡れていたら、お手上げです。掴む事が出来ません。
足裏のしわが無かったら、うまく歩けません。お風呂場で立つ事も出来ません。ツルツル滑って転んでしまいます。
番組の中の人は、しわの機能に驚いていました。
私は神の創造の緻密さとご配慮に、心震わせていました。
ある兄弟の証です。仕事が長引き、暗い夜道をひとり歩いていると、疲れた体に寒さがしみて心細く感じました。
駅に近づき、胸の内ポケットに入れた定期券を取り出した時、気づいたのです。定期券は体温で温まっていました。
定期券の温もりに、生かして下さっている神に気づいたのでした。いのちの神がともにおられた、ひとりでは無かったという事に気づき、心が安らいだのでした。
心を無にした時、自分の中に、神を感じる事が出来るように、人は造られているようです。
自然の中に働き、また佇んでいるいのちの働き。それは、私達の心臓を動かしている神のいのちです。
草花の美しさや流れる雲の動き、川の水の流れ、鳥のさえずり、自然の中に神の創造の素晴らしさは溢れています。
人は創造されたものを見て感動し、心打たれます。
実は、感動して見ているもの、心喜ばせてくれる風景のもっと奥に心を向かわせれば、それらを造られた方にお会いできるようになっているのです。
目に見えるところで満足せずに、遥かかなたに思いを馳せて下さい。目には見えないけれど、確かに存在しておられる創造主が触れて下さいます。
創造を感じたなら、創造主を求めて下さい。神は、必ず現して下さいます。神は人に知られたいのです。探して欲しいのです。求めて欲しいのです。見つけて欲しいのです。
創造主を知ると、実はずっと前から自分と共におられた事、ずっとそばにおられた事に気づいていくのです。
神は気づいて欲しいのです。
自分の周囲にある自然に目を留めて下さい。心で感じて下さい。
生きることの意味を探る根の無い生き方から、生きる目的を得て方向が定まる人生、感謝と平安の新しい生き方が用意されているのです。