ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の権威⑳ー聖餐ー


  イスラエルは、かつてエジプトの地で四百年の間、エジプトの奴隷でした。

  その頃、彼らはイスラエルではなく、へブル人と呼ばれていました。彼らは、ヤコブの十二人の息子の子孫でした。

  彼らの父ヤコブは、イスラエルの地の先祖の墓に、アブラハム、イサクとともに、眠っていました。

  神は、レビの子孫モーセを立てて、へブル人をエジプトの地から救い出されました。

  神は、エジプトの地に御使いを送り、すべての家の初子の命を取られました。死人の無い家はありませんでした。


  神は、エジプト人とイスラエル人を区別されました。

  モーセは、神が仰せられた事をイスラエル人に伝えました。

  「神がエジプトの地を打つ時、あなたがたには滅びの災いは起こらない。この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟としてこれを祝わなければならない。あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。」

  神の指示を語るモーセに言われるまま、イスラエル人の家の門と鴨居には、羊の血が塗られました。

  御使いは、その血を見ると、通り過ぎました。羊の血が塗られた家の中は入らず、初子を打つ事もありませんでした。イスラエル人には、死人は一人も出ませんでした。

  御使いは、イスラエル人だから、通り過ぎたのではなくて、羊の血を見て、羊の血の塗られた家を通り過ぎたのでした。
 
  イスラエル人の神に恐れをなしたエジプト人は、贈り物を与えてエジプト人にとって有能な労働力であった奴隷イスラエルを、エジプトの地から追い出しました。

  ヤコブの子孫イスラエル人は、壮年の男子が約六十万人、女子や子供を入れたら総勢百万人以上の民族となっていました。

  イスラエル人が出て行くと、エジプト人は心を変え、奴隷を連れ戻そうと、エジプトの王や兵士が追いかけて来ました。

  神は、地に大きな雲の柱を立てて、エジプトの軍隊がへブル人に近づかないように守られました。

  紅海の前に立ったモーセが杖を海の上に差し伸ばすと、神は、海を分けてイスラエル人が通る乾いた地を設けられました。

  そこで、イスラエル人は海の真ん中の乾いた地を進んで行きました。エジプト人は追いかけて来て、王も馬も戦車も軍隊も、皆イスラエル人の後から海の中の乾いた地に入って行きました。

  神は、戦車の車輪をはずして、進むのを困難にされました。それでエジプト人は言いました。「イスラエル人の前から逃げよう。主が彼らのために、エジプトと戦っておられるのだから。」

  イスラエル人は渡り切りました。主は、モーセに仰せられました。

  「あなたの手を海の上に差し伸べ、水がエジプト人と戦車の上に返るようにせよ。」

  モーセが手を海の上に差し伸べた時、海がもとの状態に戻りました。エジプト人は逃げましたが、水はもとに戻り、イスラエル人の後を追って海に入ったエジプト人を覆いました。残された者はひとりもいませんでした。

  こうして、主はその日イスラエルをエジプトの手から救われました。イスラエルは海辺に死んでいるエジプト人を見ました。

  イスラエル人は、「主がエジプトを打った時、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私達の家々を救って下さったのだ。」と子孫に語り伝え、主への過越の生贄を献げ、過ぎ越しの祭りと、種を入れないパンの祭りを毎年祝い、主の掟を守って来ました。


  イスラエルから現れたキリスト・イエスは、十字架にかかる前に、弟子達と最後の過ぎ越しの祭りを祝われました。

  過ぎ越しの食事をしている時、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子達に与えていわれました。

  「取って食べなさい。これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」

  また、杯を取り、感謝を献げて後、こういって彼らにお与えになりました。

  「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」


  それで、キリスト信者の集まりでは、十字架で屠られたキリストの肉と、十字架で流されたキリストの血を記念して、聖餐のときをもちます。

  キリストに命じられた通り、キリストを覚え、十字架で流された子羊の血の贖いのわざを感謝して、パンと葡萄酒(葡萄ジュース)を共にいただきます。

  出エジプトを記念して、毎年過ぎ越しの祭りを祝うイスラエル人のように、キリストの新しい契約に入った人々は、死を過ぎ越される十字架を記念とし、聖餐を行って信仰を更新しています。

  キリストにつく水のバプテスマを受けて、キリストとの契約のうちに入った者が聖餐に加わります。

  聖餐に預かる者は、幸いです。

  
  イエスは、いっておられました。

  「信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。天から下って来たパンで、それをたべるなら、永遠に生きます。」

  「わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。人の子(キリスト)の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。」

  「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人を甦らせます。わたしの肉は真の食物、わたしの血は真の飲み物だからです。」

  「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちに留まり、わたしも彼のうちに留まります。生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。」

  
  一人の人が初めて教会の礼拝に出席した時のお話です。聖餐の時間になりました。回って来るパンを取ろうとしていたところ、一人の教会メンバーが立ち上がり声を上げました。

  「キリストの民に加えられていない者が、キリストのからだを食べてはなりません。聖餐に預かってはいけません。」神が思いを与え、語らせられたのでしょう。

  すぐに自分のことだと分かったその人は、神は生きておられると分かり、神を畏れ、神の御子キリストをその時信じた、と聞いた事があります。


  パウロは言いました。


  「あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。

  したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯す事になります。

  ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、その上でパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばく事になります。

  そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大勢います。」


  聖餐は、キリストの死、贖いの子羊の契約の中に留まる事であり、霊的なものであり、神聖なものなのです。