ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の権威㉒ー愛ー


  神は愛です。

  天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださいます。

  世は、神に敵対する悪魔の支配下にあって、神を神とせず、真の神に敵対して、死に向かっていました。

  神は、ご自分のためにイスラエル民族を造り、神と契約を結ぶ民とされました。イスラエルは、神の所有の民でした。

  神は、イスラエルを変わらぬ愛で、愛しておられます。

  しかし、イスラエルは、「どのように、あなたが私達を愛されたのですか」と言います。

  主は、答えられます。

  「エサウはヤコブの兄ではなかったのか。しかし、わたしは弟のヤコブを愛し、あなたを選んだ。」

  「わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。

  たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」

  「わたしは、あなたの先祖たちを愛して、その子孫であるあなたを選んだ。恐れるな。わたしがあなたを助ける。」

  「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで捨てなかった。恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの右の手で、あなたを守る。」

  更に、主は語られました。

  「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それ故、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。乙女イスラエルよ。わたしは再びあなたを立て直し、あなたは立て直される。」

  その通り、主は、再びイスラエルの地に、彼らを集めておられます。

  イスラエルの背きの罪を赦される神の愛は、異邦人にも及びました。真の神に従った事の無い、罪の中で生まれ、罪の中で死んでいた異邦人にも及んだのです。

  神の御子は、メシアが遣わされる事を待ち望んでいた、契約の民ユダヤ民族のためにも、地上にメシアが現れる事を知らなかった異邦人のためにも、彼らの罪の身代わりとなって死なれました。

  神の所有の民のためだけではなく、真の神に敵対するすべての人々のためにも、生贄の子羊となられたのです。

  神の愛は、すべての人に及んでいるのです。

  罪の贖いは、二千年前の十字架で、イエスが流された血によって、キリストの死によって完成しています。

  すべての者の罪は赦されているのです。贖いのわざは終わっています。十字架にかかって贖って下さったイエスの死による罪の赦しを信じ、キリストを主と仰ぐならば、永遠のいのちが受け取れる手はずは整っているのです。

  聖歌に、このような賛美の歌があります。

  「私を救いたまえ」と祈ればよいのだ
  あなたの罪の聖まる手順はついてる
  主は赦したもう 主は赦したもう
  どんな罪でも 主は赦したもう


  「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません」と、主イエスはいわれます。

  聖書の神は、人々を救うために、ご自身が身代わりとなって死なれたのです。

  御子は神の御姿である方なのに、神の在り方を捨てることが出来ないとは考えないで、父に従い、人間と同じようになられました。

  人々が神に逆らい、神の御子に敵対する罪人であったとき、キリストが私達のために死んで下さった事により、神は私達に対するご自身の愛を明らかにしておられます。

  愛とは、寛容であり、親切です。人を妬まず、自慢せず、高慢になりません。礼儀に反する事をせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。

  愛のない者には、神はわかりません。何故なら、神は愛だからです。

  神は、そのひとり子を世に遣わし、その方によって私達に、いのちを得させて下さいました。ここに、神の愛が私達に示されたのです。

  私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛し、私達の罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

  神の愛には、恐れがありません。恐れる者の愛は、全きものとなっていません。恐れには刑罰が伴っているからです。全き愛は恐れを締め出します。愛には赦しが伴うのです。赦す者の心の内に平安が訪れます。

  主は愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、鞭を加えられます。

  ダビデは祈りました。

  「神よ。私を探り、私の心を知って下さい。私を調べ、私の思い煩いを知って下さい。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いて下さい。」
  

  神の愛は、すべての人々に注がれています。

  神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛されました。それは御子を信じる者がひとりとして滅びる事なく、永遠のいのちを持つためなのです。

  神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためなのです。

  神の愛は、すでにキリストによって、世にあらわされています。

  神の愛を、むなしく受け流してしまう事がありませんように。

  神の恵みを無駄にしたくないものですね。