ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の権威㉓ー赦しー


  イエスは、中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た人達の信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」といわれました。

  中風の人の心配事は、中風の体よりも、神にさばかれたという恐れだったのかもしれません。

  そして、イエスが神から遣わされた人の子であり、地上で罪を赦す権威を持っている事を知らせるために、中風の人にいわれました。

  「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」すると、彼は起きて家に帰ったのでした。


  律法学者達が姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来て、真ん中に置いてから、イエスに言いました。

  「先生。この女は姦淫の現場で捕まえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何といわれますか。」

  問い続けてやめない彼らに、イエスはいわれました。

  「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」

  すると、年長者達からひとりひとり出て行き、イエスがひとり残されました。

  神がおられる事を信じ、神を恐れる者は、自分の罪を自覚しています。聖い者は誰もいないからです。

  イエスは、その女にいわれました。「婦人よ。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」

  彼女は言いました。「主よ。誰もいません。」

  イエスは、その女にいわれました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」

  イエスは、さばくために来られたのではなく、罪を赦すために来られました。また、人の罪を赦す権威を持つ方でした。

  イエスは、いわれました。

  「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。」

  「祈っているとき、誰かに対して恨み言があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦して下さいます。」

  「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦して下さいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」

  人を赦す事は、相手のことを思っていわれたのではなくて、あなたを心配しておられるからです。

  「愛する者たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする』と神はいわれるからです。」

  神にゆだねる事です。神は、あなたに罪を犯して欲しくない、と思っておられます。自分自身で背負わず、自分の手に握らないで、神におまかせしましょう。

  神に打ち明け、神に明け渡す事によって、怒りはあなたの手から神の手に移ります。自分で負わない事、手放す事が赦す行為になります。

  そうなると、あなたと相手の問題だと思っていた事が、神とその相手の問題となり、もはや、あなたの問題では無くなります。

  あなたが手放すなら、本当に神は働いて下さいます。

  あなたの傷が癒える頃、神が働かれた結果を知り、あなたは、神を畏れることでしょう。

  しかし、自分自身で抱えていると、怒りや悲しみはやがて呪いとなり、あなた自身の罪となってしまいます。

  神の認められる怒りならば、神が相手に働かれます。相手が悔い改めるかも知れませんし、或いは、神が相手を打たれるのかも知れません。

  神に認められない怒りならば、神はあなたのうちに働き、あなたのうちに悔い改める心を起こして下さる事でしょう。


  もし、私達が自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私達をきよめて下さいます。

  
  ローマの総督は、イエスに罪を見つける事が出来ませんでした。しかし、ユダヤ人達は、「私達には、誰を死刑にすることも許されていません」と言って、ローマに引き渡し、イエスを十字架につける事を要求しました。

  十字架につけられたイエスは、さらし者となりました。ユダヤ人の民衆はそばに立ってながめていました。ユダヤ人の指導者たちも、「もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ」と嘲笑いました。

  イエスは、十字架から、天の父に向って叫ばれました。

  「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

  天の父の怒りとすべての呪いは、十字架につけられた贖いの子羊イエスの上に置かれました。

  神の怒りは、十字架につけたイエスひとりに向けられました。

  天の父は、ご自身のひとり子御子に、すべての人の罪の呪いとすべての人の死を負わせられました。

  ノアの時代に、世の暴虐の罪に怒り、すべての人を大洪水の水で滅ぼしてしまわれた神が、御子であるイエスひとりを滅ぼす事で、怒りを収められました。

  神は、滅ぼすことではなく、罪を赦すことを実行されたのです。

  塵で造られた人のために、罪の無い神の子イエスを身代わりとして死なせて、人の罪を赦して下さったのです。

  罪に汚れ、滅びゆく人を、赦す価値ある者とされて、キリストの血を注ぎ、罪を帳消しにする道を用意して下さったのです。

  神は、人がその赦しを受け取ることを願っておられます。

  すでに、完成している赦しのわざですが、人が、その赦しを求めて十字架のもとに来なければ、そして、キリストを信じ、キリストの血を受けなければ、赦しを自分のものとする事は出来ません。

  赦しは、ひとりひとりの前に置かれています。それを受け取る事から始まります。

  神が罪を赦すために、天から遣わされた御子イエスを信じる事が、永遠に赦される事なのです。