ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信仰は連なっている


  ノアに三人の息子がいました。セム、ハム、ヤペテでした。父ノアに「褒めたたえよ。セムの神、主を」と祝福されました。ノアが箱舟を造って従った神、洪水から救って下さった全能の神を、セムの神と呼んだのでした。

  セムから九代目テラには、三人の息子アブラム、ナホル、ハランがいました。テラは、偶像崇拝の地ウルで、偶像崇拝者でした。

  アブラムは、異母兄妹のサライと結婚し、ナホルは兄弟ハランの娘ミルカと結婚しました。ハランは、ウルの地で亡くなりました。

  父テラは、アブラムと嫁サライ、故ハランの子で孫のロトを伴い、カナンの地に行くために、カルデア人のウルから一緒に出掛けました。しかし、彼らはカランまで来て、そこに住みつきました。

  セムの神は、アブラムにカナンの地に行く思いを与えられたのです。テラは、熱心な偶像崇拝者であったと思われます。しかし、神は霊であって、目に見えるお方ではありません。

  テラの心に信心はあっても、目に見える偶像が、信仰の目を塞いでいたのでしょう。まことの神、ノアの神、セムの神、全能の神をはっきりと知る事は出来ませんでした。

  神は、そのテラの子アブラム(後のアブラハム)を選んでおられました。それで、アブラムにカナンの地に行く思いを与えられたのです。偶像崇拝で思いが暗いテラのもとに居たアブラムが、心にある信仰の部分で神の導きを捉える事が出来ました。

  テラの中にある神を畏れる信仰心は、神と契約を結ぶアブラムを生み、テラの家族が神の計画された約束の子イサクを生み、また、神の契約を受け継ぐ子ヤコブとイスラエルを生みました。

  信仰の父と呼ばれるアブラハムと妻サラは、ふたりともテラの子です。

  アブラハムとサラの子イサクの妻リベカは、アブラハムの兄弟ナホルと兄弟ハランの娘ミルカの子、ベトエルの娘です。

  アブラハムの息子イサクの子、アブラハムの孫であるヤコブの妻は、母リベカの兄ラバンの娘、レアとラケルです。つまり、アブラハムの兄弟ナホルとハランの子孫です。

  イサクは、テラの息子アブラハムとテラの娘サラの血を引き、ヤコブは、テラの三人の息子、アブラハム、ナホル、ハランの三人の血を引いています。更に、ヤコブの息子十二人のうち、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンは、アブラハム、ナホル、ハランの純粋な子孫です。

  テラの子らは、アブラハムの子孫の中で生きています。テラもまた、神に選ばれ祝福された者であったと思います。

  アブラムは父テラに伴われ、ウルを出てカナンに向かい、カランに来てその地に住みました。父テラの歩みは、カランの地で留まりました。しかし、息子アブラムは、全能の神の声を聞き、目で見るようにして見えない全能の神に従って、目的地カナンの地に辿り着いたのでした。

  洪水をくぐり抜けたノアに祝福されたセムは、セムと共におられる全能の神によって、九代目にテラを生みました。そして、セムの神は、テラにアブラムを生み、アブラムに「父の家を出て、わたしの示す地へ行きなさい」とお告げになりました。アブラムは、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

  アブラムは、父に伴われてウルの地を出たように、ノアの神、セムの神、全能の神に従って、父テラのもとを離れ、神が示される地カナンに向かったのでした。

  ノア、セムに与えられた信仰は、神の導きを捉えるアブラムとともに偶像の地、ウルを出たテラを生み、神の声に聞き従うアブラハムを生んだのでした。

  割礼を受ける前のアブラムと受けた後のアブラハムは、同一人物です。

  不妊の妻に子の無かったアブラムは、あなたの子孫を祝福するとの神のことば、あなたの子孫は空の星が数えられないように、このようになる、とのことばを信じて、神から義と認められました。

  アブラハムの孫のヤコブはユダヤ民族を生み、ユダヤ民族が生んだモーセが神の律法を与えて、神と契約を結ぶ民イスラエルを生みました。イスラエルが生んだイエス・キリストが、永遠に生きる者、神の子を生むのです。

  キリスト・イエスは、ヤコブの妻レアが生んだレビとユダの子孫です。イエスを生んだマリアは、ユダ族ダビデ王の系図の父とレビ族大祭司アロンの系図の母から生まれていました。

  最初のアダムは、土から造られた人でした。神の息を吹き入れられて生きる者となりました。しかし、神のことばに背き、死んだ者となりました。それで、人は皆、死ぬ者となったのです。

  第二のアダム、イエスは、土という名前のテラから、人の子として生まれました。テラの三人の息子すべての血を受け継いでいるイエスは、御霊を与える者となりました。アダムの罪の身代わりの子羊イエスは、流した贖いの血によって、生かす人となりました。それで、キリストにつく者はすべて、永遠に生きるのです。

  
  ノアの時代、水をくぐり抜け生きた者は、ノアとノアの家族だけでした。

  終わりの時代、神は、割礼を受け、神の律法を守るイスラエル民族だけでなく、全世界に救いを用意されました。律法を完全に守る事は出来ないので、その違反を贖う子羊イエスをイスラエルに送られました。

  神は、この贖いの子羊を信じて罪赦された者、御霊を受ける者を、火のさばきから救い出して下さるのです。
  

  『信仰の父』と呼ばれるアブラハムは、約束の子孫である神が造られた神の民、神の戒めを守るイスラエルの父であり、「神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」といわれた、信仰によって義とされたアブラムの子、キリストを信じる信仰によって義とされる無割礼の子らの信仰の父となるのでした。