ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ヤコブとイスラエル


  神は、アブラハムにイサクがあなたの子孫と呼ばれる、といわれました。イサクは、ふたりの息子を生みました。神は兄エサウを退け、弟ヤコブを選びました。ヤコブは、十二人の息子を生みました。神は、十二人の息子すべてを選んでイスラエルとされました。

  ヤコブは母から愛されましたが、家長である父の愛に飢えていました。穏やかなヤコブの内に、深い井戸が掘られていきます。自分を守ってくれるもの、愛してくれるものを誰よりも深く、強く求める者となっていました。

  ヤコブに神は語りかけます。目には見えない神の確かな守りを、神のことばとともに確認していきました。渇いた心は、神のことばにすがりつきます。父イサクによって埋められなかった心の穴、かえってイサクによって空いてしまった穴を、神が満たしていかれました。

  神はこうして、ヤコブをご自分のものとされたのです。ヤコブには、神しか頼るものはありませんでした。ヤコブは人の助けを求める者ではなく、神を求める者、神の中にいる者として、神ご自身が育てられました。

  神は、ヤコブにイスラエルという、新しい名前を与えられました。そして、ヤコブの十二人の息子達の子孫であるヤコブ一族は、イスラエルと呼ばれるようになったのです。


  ヤコブの家族は、飢饉の時世、豊かなエジプトの地に下り、生き延びました。彼らの死後、彼らの子らは、重労働を課せられ、エジプトの地で奴隷となったのです。ヤコブの子孫は、奴隷の子として生まれ、エジプトの地で増え広がりました。彼らには国はありません。エジプトの奴隷でした。

  四百間奴隷であった、ヤコブを父とするヤコブ一族は、神の時に、神が立てられたモーセによって、奴隷の家エジプトから救い出され、荒野を通って、ヤコブが神の家と名付けたベテルの地のある地域、神がヤコブに用意されたカナンの地(現イスラエル)に導かれました。

  エジプトの地に入ったヤコブの家族七十人は、四百年の間に増え広がって、壮年男子だけでも六十万人の一族となりました。女子や子どもを入れたら百万人以上の民族となっていました。

  荒野で神は、モーセを通してこの民に、十戒を与え、あらゆる規定を定めて、神の掟と定めを守る民とされたのです。契約の箱を造らせて、神は契約の箱とともに進まれました。神は、この民に多くのしるしと奇跡、わざを行って御自身を現わされました。

  彼らはイスラエルと呼ばれ、天の神の臨在を地上に置く唯一の民族でした。

  この世の奴隷として生まれた奴隷の民であり、民族としても認められず国もなかったユダヤ民族を立てて、アブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ぶ神は、彼らを神の民として選び、カナンの地を与え、神に仕える祭司の国民とされました。

  この世の奴隷だった民を荒野で整え、神の奴隷の民に造り変えていかれました。

  奴隷は、主人に仕える者です。神は、四百年間の奴隷の経験を通して、ユダヤ人の自我を砕き、主人に仕える事を学ばされました。

  また、奴隷であるが故に、苦しみの中で互いに労わり合い、互いに身内意識を持ち続ける事が出来ました。ヤコブの家族は、苦しみを共にして心一つにする同士として強い家族意識を持つ、一つの民族に育てられました。


  イスラエルの父ヤコブは、神と戦い、人と戦って勝利し、神の祝福を得ました。

  イスラエルの中には、アブラハム、イサク、ヤコブ、そして、イサクが愛したエサウの信仰が生きています。

  信仰によって義とされたアブラハムの信仰を受け継ぐ者、目に見える父アブラハムの信仰に従順であったイサクの信仰を受け継ぐ者、がむしゃらに神を求め戦って神の契約を勝ち取ったヤコブの信仰を受け継ぐ者、神よりもこの世を愛し神の契約を軽んじるエサウの信仰を受け継ぐ者がいます。

  神と戦い、人と戦って勝利したヤコブのように、ヤコブの子らもまた、神の契約の成就のために戦い続けています。

  イスラエルが生んだキリスト・イエスは、ユダヤ人に迫害されました。キリストを信じる者もまた、ユダヤ人から迫害されるのです。キリストは、この世の者では無いからです。

  キリストを信じる者は、この世から憎まれるのです。しかし、神が彼らを愛して下さいます。キリストも御霊も彼らと共におられるからです。

  神と戦って勝った者、と名付けられたイスラエルは、ヤコブのように、愛と平和を渇望し、神を求め、神にすがって、神の救いを得ていくのです。

  ヤコブに与えると約束された地(現イスラエル)に、ヤコブの子孫、ユダヤ民族が住んでいます。神は約束を成就されました。

  彼らは、メシアが与えられるという神の約束を信じて、今尚メシアが来るのを待ち望んでいます。しかし、彼らが待ち望んでいるキリストは既にイスラエルの地に来られ、贖いの子羊のわざを終えて、神の右の御座に着座されているのです。

  イスラエルの王、イスラエルを愛される主は、十字架で流された血潮でイスラエルの罪を洗い清め、赦されました。彼は、死に勝利して、墓から復活され、永遠に生きるメシアとなられたイエス・キリストです。


  イスラエルが、イスラエルにイエスを与えられた彼らの先祖の神の愛を知るならば、イエスが神が遣わされたキリストだと分かるならば、彼らの内に、誰も奪い取る事の出来ない、引き離す事の出来ない平安が訪れる事でしょう。

  神は、イスラエルが神の安息の中に入る事を望んでおられます。

  神は、イスラエルを幸せにするために、彼らを苦しめられます。

  
  イスラエルよ。あなたは、神に忘れられてはいません。イスラエルが待ち望んでいるメシアは、再びイスラエルの救いのために、イスラエルの地に来られるのです。