ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アロンとモーセ


  エジプトの奴隷へブル人(ユダヤ人)の数がエジプト人の人口を超えました。エジプトは、奴隷が力を増してエジプト後から出て行く事を恐れ、へブル人の赤子が男の子の場合はナイル川に投げ込むように、と助産婦に命じました。しかし、神を畏れる助産婦は生かしていました。

  その頃、モーセは生まれました。その子が可愛いのを見て、家族はかごに入れて川に浮かべました。川遊びに来たエジプトの王女が見つけ、その子を憐れに思い、育てる事にしました。

  その様子を伺っていた赤子の姉は、乳をのませる乳母がいる事を申し出ました。それで、実の母が乳母となって、その子が乳離れするまで育てました。その子の意識の中に、へブルの神の存在が教え込まれました。

  王女は「水の中から、私がこの子を引き出したのです」と言って、モーセと名付けました。王女の息子として育てられていたモーセに、同胞のへブル人を顧みる心が芽生えました。

  エジプト人がへブル人を打っているのを見て、そのエジプト人を打ち殺し、その事を知ったエジプトの王は、モーセを殺そうと探し求めました。

  モーセはエジプトから逃れて、ミデヤンの地に行き、荒野で羊飼いとなりました。荒野で四十年経つ頃、神がモーセに現れていわれました。

  「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」「わたしは、エジプトにいるわたしの民の叫びを聞いた。行け。わたしはあなたをファラオのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」「わたしは、あなたとともにいる。わたしがあなたを遣わすのだ。」「エジプトに帰って行け。あなたの命を求めていた者は、皆死んだ。」

  主は、エジプトにいるモーセの兄レビ人アロンにいわれた。「荒野に行って、モーセに会え。」

  モーセとアロンは行って、イスラエル人の長老達を集めました。アロンは、主がモーセに告げられたことばをみな告げ、民の目の前でしるしを行ったので、民は信じました。

  モーセとアロンは、エジプトの王ファラオのところに行き、イスラエルの神のことばを語りました。ファラオは、益々苦役を重くしてイスラエル人を苦しめました。

  神がいわれた通り、エジプトに九つの災いが下り、十番目の災いの後で、エジプトは、イスラエル人をエジプトから去らせました。

  モーセとアロンが導き、百万人を超すイスラエル人とイスラエル人についてエジプトを出て来た外国人(在留異国人)の群れは、荒野で神に養われました。

  神は、モーセに十戒を与えて、イスラエルの民を神の民とするために、様々な規定や掟や定めを告げられました。

  イスラエルは神に従って、神の契約の箱を造り、神の幕屋も造りました。神は、ヤコブの子レビを選び、ご自分のための初子とされました。それで、レビ族は、神に仕える者とされました。

  ヤコブは十二人の族長を生みました。長子のヨセフは、二つの部族の族長でした。それで、十三の部族となりましたが、レビ族は神のものとされて、残りの十二部族でカナンの地を分割します。レビ族には、その割り当て地はありません。

  レビ人はその十二部族の中にあって、各々の部族を神に仕える民とするために彼らの中に住みます。また、全部族を神の前に立たせ、民のために、神に全焼の生贄を献げたり、罪のための生贄を献げたりする祭司の務め、幕屋で仕える者、契約の箱を担ぐのも、角笛を鳴らすのも祭司の務めでした。

  神は、レビ人の中でアロンを祭司として立てられました。祭司職は、アロンの血筋の務めです。また、至聖所まで入る事が許されている大祭司の職は、アロンに与えられました。そして、アロンの系図で直系の者が大祭司の職を継承するのです。

  神は、イスラエルの大祭司アロンとレビ人モーセによって、イスラエルの民に神を教え、神に仕える民としての法を与え、神の契約を相続する国民としての養育をされたのです。

  大祭司アロンは、民の声に負けて、民のために金の子牛の像を造り、民はこの子牛を礼拝し、神を怒らせました。目に見えない神が捉えられない人は、目に見えるものの方が確かなものに感じ、信じている実感が得られて安心に思うもののようです。

  「私達に飲む水を与えて下さい」と民がモーセと争った時、モーセが主に叫ぶと、「あなたが杖でその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう」といわれました。モーセが、神にいわれる通りにしたので、民は神が与えられた水を飲みました。

  再び、民はモーセと争いました。モーセとアロンが会見の天幕の入口に行ってひれ伏すと、主はモーセにいわれました。「杖を取れ。会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。」それまで、すべての点で、神にいわれた通り行った従順なモーセが、「逆らう者達よ。さあ聞け。この岩から私達があなたがたのために水を出さなければならないのか。」と言って、杖で岩を二度打つと、たくさんの水が湧き出ました。

  神は、岩に命じれば、岩は水を出す、といわれました。しかし、モーセは、岩に命じるのではなく、民に「この岩から、私達があなたがたのために水を出さなければならないのか」と言って、神の命令通りに行いませんでした。まるで、モーセの杖に力があるかのように、以前と同じ方法で、杖で岩を打つ事で水を出しました。水を出すのは神ではなく、モーセであるかのように振る舞い、民に神を現わしませんでした。

  神は、モーセがイスラエルの人々の前に神を聖なる者としなかった、とモーセを責め、モーセにカナンの地を見るが、入らせないと誓われたのでした。

  神に選ばれても、神にへりくだる事を忘れると、また、神のわざがまるで自分自身の働きであるかのように高ぶる心が芽生えると、神は打たれ倒されます。

  
  逆らう民の怒りを身に受けつつ、神にへりくだって忠実に仕えたアロンもモーセもカナンの地に入る事なく、荒野で死にました。

  高ぶり、心の隙間、人を恐れる事、様々な試みの中でも、主を目の前に置き、聖なる主のご主権の中に留まっていたいものです。