ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の権威を持つ聖霊

 

  聖霊は、イエスがこの世から去って天に上り、遣わされた方、天の神のもとに帰られた後で、天の神が地上に遣わされた助け主です。

 

  聖霊は、イエスを主とする者達を助ける、真理の御霊です。聖霊はキリスト信者といつまでも共におられ、信者にすべてのことを教え、また、イエスのことばを思い起こさせ、彼らの信仰を守り、彼らを養育し、神の国に導き入れられるのです。

 

  真理の御霊が来ると、イエスを信じる者をすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、キリストから聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示されます。

 

  御霊は、キリストの栄光を現わします。キリストのものを受けて、キリスト信者に知らせるからです。

 

  御霊について、聖書が何といっているのか、見てみましょう。

 

  御霊を消してはいけません。預言をないがしろにしてはいけません。旧約の預言者の権威を認めるならば、新約時代に御霊が与える預言も否定してはなりません。

 

  神の聖霊を悲しませてはいけません。キリスト信者は、贖いの日(キリスト王国の実現)のために、聖霊によって証印を押されているのです。

 

  人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきです。偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。キリスト信者は、キリストのからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。

 

  怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはなりません。それは、悪魔に機会を与えることになります。

 

  神の人にふさわしく、聖霊のうちに留まり、キリストにあって、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

 

  盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、骨折って働きなさい。

 

  悪い言葉を、口から出してはいけません。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、一切の悪意とともに、みな捨て去りなさい。キリストにある兄弟達が、互いに悪口を言い合ってはいけません。神の聖霊を悲しませてはいけません。

 

  神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を聖くしなさい。

 

  「神は、私達のうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる」とも、「神が私達のうちに住まわせた御霊は、ねたむほどに私達を慕い求めておられる」ともいわれています。

 

 

  イエスが悪霊を追い出しているのを見たパリサイ人は言いました。「この人は、悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」

 

  イエスは彼らの思いを知って、彼らにいわれました。

 

  「人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒瀆は赦されません。また、人の子(イエス)に逆らう言葉を口にするものでも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、誰であっても、この世であろうと次の来る世であろうと、赦されません。」

 

  聖霊を侮り汚す者は、神の国に入ることが出来ないことを、イエスははっきりといわれました。

 

  イエスは、100%神の子ですが、肉体を持った人の子でもありました。しかし、聖霊は、100%神であり、神の霊であり、神ご自身なのです。

 

  イエスを悪霊呼ばわりすることは赦されます。しかし、聖霊が行っておられることを悪霊がしていると言って、聖霊を悪霊呼ばわりする罪は赦されません。彼らの名前は、いのちの書から取り除かれます。

 

  人が犯すどんな罪でも赦されます。罪を告白し悔い改めるなら、何度でも赦されるのです。しかし、聖霊に逆らう冒瀆は赦されません。神は、聖霊に逆らう者から御霊を取り去られて、もはや悔い改める力はありません。

 

  聖霊に逆らうことは、悪魔を喜ばせる事です。悪魔に神を侮らせることなのです。

 

  聖霊がわからないのは、御霊を受けていないからです。神の権威を持つ御霊をお迎えして、聖霊の宮となってください。

 

  「聖霊様、歓迎します。私のうちを聖めてください。私の目を、耳を、口を聖めてください。私のうちにお住まいください。私の目を開き、耳を開き、真理を悟らせてください。御霊とともに歩む者としてください。」

 

  御霊は来てくださいます。イエスを信じる者に、御霊を与えることは神が定めておられることだからです。与えられていないのは、求めていなかったからです。御霊の権威や存在を知らずに、イエスを信じる事で満足していたからです。

 

  御霊にも人格のようなものがあります。御霊は礼儀正しく、謙虚で、ご自分を主張したり、招かれてもいない家にずかずかと上がり込むような方ではありません。私達の方から、「御霊様。いらしてください」とお招きしなければなりません。

 

  また、とても繊細な方です。御霊に逆らい、御霊を消す思いを持てば、静かに出て行かれます。聖霊は紳士だ、と神学校で教えられました。御霊は、決して主人のように振舞ったりはされません。イエスを思い起こさせ、真理に導き入れる養育係です。

 

  御霊は、助け主です。助け主とともに歩む信仰の歩みは安全です。

 

  御霊を宿す者のからだは、うちに住まれる方、神から受けた聖霊の宮なのです。自分のからだであって、自分自身のものでは無いのです。

 

  不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。それは、聖霊の宮を汚すことになります。御霊は、その罪から離れるように、執り成し助けてくださいます。

 

  キリストの血潮という代価を払って、神は、私達を悪魔から買い取ってくださいました。ですから、聖霊をお迎えし、自分のからだをもって、神の栄光を現わしていきましょう。