ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

最大の奇跡

 

  古から、長寿を求めて来た人間は、死に飲み込む魔物と戦う術を求め、また、長寿を叶えると思われるものを探し求めて来ました。

 

  生老病死の悩みが、人間の究極にして共通の悩みとし、落としどころを求めて、世界中に哲学者や宗教家が立ちました。

 

  「生あるものは必ず滅し、形あるものは必ず壊れる」これが摂理だと悟ったものの、諦められません。

 

  では、この摂理は誰が定めたというのでしょうか。死の先には、何があるのでしょうか。

 

  夜空を見上げ、果てしない宇宙に思いを馳せるとき、不思議な感覚を持ちます。宇宙はどこまで広がっているのか。宇宙の外には何があるのだろうか。

 

  人類が世代を超え、知識と知恵を積み上げて来たのに、解明できません。

 

 

  神は、ヨブに仰せられました。「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者は誰か。わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこに居たのか。あなたに悟ることが出来るなら、告げてみよ。

 

  海がふき出て、胎内から流れ出たとき、誰が戸でこれを閉じ込めたか。わたしは、『ここまでは来ても良い。しかし、これ以上はいけない。あなたの高ぶる波はここで留まれ』といった。

 

  あなたは海の源まで行ったことがあるのか。深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。死の門があなたに現れたことがあるのか。あなたは死の陰の門を見たことがあるのか。

 

  あなたは地の広さを見極めたことがあるのか。そのすべてを知っているなら、告げてみよ。

 

  光の住む所に至る道はどこか。闇のあるその場所はどこか。

 

  あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることができるか。

 

  烏の子が神に向かって鳴き叫び、食物がなくてさまようとき、烏にえさを備えるのは誰か。

 

  だちょうは自分の子を自分のものでないかのように荒く扱い、その産みの苦しみが無駄になることも気にしない。わたしがこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ。

 

  非難する者が全能者と争おうとするのか。神を責める者は、それを言い立ててみよ。」

 

  ヨブは答えて言いました。「ああ、私はつまらない者です。あなたに何と口答えできましょう。私はただ手を口に当てるばかりです。一度、私は語りましたが、もう口答えしません。

 

  あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理を覆い隠した者は、誰でしょう。まことに、私は、自分で悟り得ないこと、自分でも知り得ないことを告げました。

 

  私はあなたの噂を耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで、私は自分をうらみ、塵灰の中で悔い改めます。」

 

  

  この偉大な神が、すべてを滅ぼす力のある神が、御自身のひとり子を地上に遣わし、朽ちる者達の間を歩ませられました。御子は、摂理に暗い、無知な人間に真理を解き明かされました。

 

  神の民ユダヤ人は、神の御子イエスから、天の神御父について、永遠のいのちについて、神の子達が集められる神の御国について、告げられました。

 

  イエスのことばは、人間が古から探り求めて尚得られなかった、不老不死の解決策を明らかにするものでした。それは、人間の思い描くことの出来ない、新しいことばでした。

 

  神は、朽ちる者を死の呪いから救い出し、永遠に生きる者とするために、人類の身代わりとして召して遣わした御子を、生贄の神の子羊として木につけ、呪いを処罰されたのです。

 

  不老不死の秘策は、この世のものではありません。神が用意し、天から与えられるものでした。神のわざです。永遠の神は、朽ちて滅びる者の知恵や知識やわざを頼みとはされません。

 

  十字架で呪いを砕いたイエスを、死から復活させられた神は、神の方法にへりくだり、天から遣わした御子を受け入れる者達に、御霊を与えて、御霊によって教え導き、イエスが設けたいのちの道を歩ませ、彼らを死から復活させて神の国に入れるのです。

 

  人は、神が用意された方法を信じることで、救われるのです。

 

  イエスを神から遣わされた救い主キリストと信じて、御霊を受けることで、その人のうちに神のわざが施されて、新しく生まれ、永遠に生きる神の子として創造されるのです。

 

  真理から遠く離れ、むなしさを抱え、死と滅びに怯えていた魂が、神のわざによって、永遠の希望と、永遠のいのちの信仰、真の神との愛の交わりの中で安らぐのです。

 

  肉体は滅びるもの、実体ではなく、影です。肉体の命に生きる者は、影のように消えて行きます。神が与えられる霊のからだと永遠のいのちは、普遍的なもの、神の御前で永遠に存在する実体です。

 

  この真理に出会い、イエスを主と告白し、御霊を受けることが、最大の奇跡です。

 

  癒しのわざも、解放のわざも、死人を生き返らせるわざもすごいですが、その人々がいのちの道を歩まないならば、やがて死んで、神のわざは、一過性のものとなってしまいます。

 

  最大の奇跡、永遠に残る奇跡は、永遠のいのちを受けるということです。

 

  イエスはいわれました。「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、持ち物ぜんぶを売り払ってその畑を買います。」天の御国は、全財産よりも値打ちのあるものだと、いわれました。

 

  イエスに遣わされた弟子達は、「主よ。あなたの名を使うと、悪霊どもでさえ、私達に服従します。」と喜んで報告しました。

 

  イエスはいわれました。「わたしが見ていると、サタンが、稲妻のように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。しかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからと言って、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

 

  永遠のいのちを受け、天に自分の名が記されていることが、最大の奇跡なのです。多くの先人が不老不死を探り求めて、手に入れることのないまま、死んでいきました。不老不死のことを求めていたわけではないのに、キリストの恵みは、信じる者に、それを与えるのです。

 

  イエスはいわれます。「人は、たとい全世界を手に入れても、真のいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人は一体何を差し出せばよいのでしょう。」

 

  永遠のいのちの秘儀は、隠されてはいません。今の時代、すべての者にイエスは証されているのです。誰でも得られる、神のわざです。しかし、信じる事のできる者は多くはありません。イエスを信じることが出来たこと、これこそが、人生最大の奇跡です。