ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

狭い門から入りなさい

 

  イエスはいわれました。 

 

  「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。」

 

  イエスを信じ、神の用意されたいのちの道に入り、信仰の歩みをします。どうやら、このいのちの道にも広い道と狭い道があるようです。そして、狭い道に入る小さな門は見つけるのが難しいというのです。

 

  しかし、この狭い道に至る小さな門を見つけなければなりません。何故なら、この門の先にある狭い道が、いのちに至る道だからです。この道は、イエスが歩まれた道です。

 

  異邦人の信者達は、ユダヤ教と同じ根を持っていたナザレ派のイエスの教えを、ユダヤ教の木から切り外し、イエスの教えだけを信仰の対象としました。そして、新たにキリストの木を建て上げたのです。

 

  異邦人には当てはまらない旧約、割礼のある民が大切にして来たアブラハムの契約とモーセの律法を基盤としたイスラエルの信仰は、異邦人とは関わりの無いものとしました。

 

  そして、イエス・キリストを信仰の中心に置く新しい異邦人のキリスト信仰を建て上げ、ユダヤ的なものを排除しました。

 

  ユダヤ人は、アブラハム、イサク、ヤコブ、先祖の契約に立ち、イスラエルに約束されたメシア、異邦人を照らす啓示の光、万民の前に備えられた御救い、御民イスラエルの光栄である方をイスラエルの神が遣わされることを信じて、モーセの律法を守りつつ、長い間、メシアの到来を待ち望んで来ました。

 

  イスラエルは、唯一、全知全能の神、創造主を神とする、神が造られた神の民でした。全能の神が、イスラエルにメシアを遣わされることを知って、待ち望んでいたのです。

 

  一方、異邦人は、各々の神々を作り、偶像の神々に仕えて、イスラエルの全能の神から遠く離れた国民であり、イスラエル人とイスラエルの神に敵対するものでした。

 

  イスラエルに敵対する異邦人は、イスラエルに遣わされたメシアを彼らから奪い、異邦人の救い主としました。

 

  イエスが、イスラエルに遣わされたメシアであることを信じなかったユダヤ民族は、キリストを取り返すために異邦人と戦うことはありませんでした。イエス・キリストをメシアと認めないユダヤ民族は、イスラエルの神が先祖に約束されたメシアが来られると信じて、今尚別のメシアを待ち望んでいます。

 

  彼らにとって、イエス・キリストは異邦人の神です。割礼もモーセの律法も守らない異教の神です。

 

  メシアが来られることを聞かされておらず、待ち望んでもいなかった異邦人が、民族あげて天地万物を造られた創造主に仕え、異邦人が負うことの無い神のくびきを負って他民族と聖別されたユダヤ民族、また、この世から敵視され脅かされて労苦したユダヤ民族が生み出した契約の子イエスを、イスラエルから奪ったのでした。

 

  思いが閉ざされたイスラエル民族が、天から下ったこの宝、イエスの価値に気づかなかったからです。彼らは、永遠のいのちを理解しませんでした。

 

  

  イエスのことばを聞いたユダヤ人が、イエスに尋ねました。「主よ。救われる者は少ないのですか。」

 

  イエスは人々にいわれました。

 

  「努力して狭い門から入りなさい。何故なら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」

 

  また、イエスは忠告されました。「偽預言者達に気をつけなさい。彼らは、羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」

 

  イエスを信じる者の信仰を荒らす者達が入って来るのを警告しておられたのです。

 

  その警告通り、イエスの弟子達ユダヤ人が建て上げた教会は、異邦人に乗っ取られました。教会からユダヤ的なものが排除され、ユダヤ人はキリストを十字架につけて殺したので神から捨てられた。それで、ユダヤ人は神の契約を失い、キリストの教会が真の神の民となったとして、神の御救いから、ユダヤ人を取り除きました。

 

  キリストとユダヤ人に敵対する偽預言者達は、ユダヤ人を撲滅する事が神に仕える事だ、と誤った教えでキリスト信者を惑わし、教会に大きな罪を犯させました。

 

  モーセの十戒の第一戒は、「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」第二戒は、「あなたは偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない」とあります。

 

  これは、イエスをイスラエルに遣わされた神の戒めです。イエスを主とする者は、この神に仕える者なのです。

 

  イスラエルに敵対するキリスト教会は、偶像を作り、その前で手を合わせ、キリストを遣わしたのではない神々を拝んでいます。

 

  イエス・キリストの名を使いながら、イスラエルの神に背を向ける、偽預言者に荒らされた教会となりました。

 

  イエスはいわれます。「偽預言者達に気をつけなさい。霊を見分けなさい。あなたがたは、実によって彼らを見分けることが出来ます。良い木は良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。努力して狭い門から入りなさい。」

 

  神の霊は、神の栄光を現わし、神から出ていない霊は、自分の栄光を求めるのです。

 

  神がキリストの名で遣わされた御霊、信者に与えられる御霊がこの小さな門へと導いてくださいます。ですから、御霊を消してはいけません。

 

  これからもっと多くの惑わしの言葉が飛び交うことでしょう。見分けなければなりません。

 

  イエスはいわれます。「努力して狭い門から入りなさい。何故なら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」

 

  狭い門は、人の思いや知識で見つけられるものではありません。いのちの道は、敵である悪魔から、悪魔が遣わす悪魔の子から、隠されて守られています。隠されている狭き門へと導かれるのは、主の御霊なのです。

 

  いのちの道はイエスの歩まれた道であり、そして、いのちの道に至る狭い門は、御霊の入られる門です。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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