ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

真理に立ち忠誠を誓う日本人

 

  仏陀は、生老病死からの解放の道を求め、真理へと進む悟りを得ました。その先にある光を感じたのです。しかし、光に到達する事は無く、その境地を体現するまでには至りませんでした。

 

  人類一の知恵者ソロモンは、創造主に仕えるイスラエルの王でした。それなのに、外国の女を愛して離れず、外国人の妻達の神々に従い、父ダビデの心とは違って、主と全く一つにはなっていませんでした。

 

  それで、真理を知っているはずのソロモンには覆いが掛かり、真理の光はぼんやりとしていたようです。光の中に入ることはありませんでした。

 

  ソロモンの子孫に、ダビデの子と呼ばれるイエスが、天から遣わされました。イエスは、創造主である神のひとり子であり、父なる神とともに、天地万物を造られた神の子でした。

 

  この人の子となって、天から来られた神の子イエスが、真理を解き明かされたのです。仏陀が生涯かけて探求し、ソロモンが知恵を用いて探り極めた真理を、イエスが解き明かしてイスラエルに現されました。

 

  仏陀は、真理は人格者である事に思いが至ったようです。真理を語り、真理を生きる明けの明星が来られる事を悟りました。

 

  『般若心経』はどこの誰がいつ書いたのか、わからないようです。しかし、内容は、生老病死の苦悩からの解放を求めて出家し、悟りの道に入った仏陀が辿り着いたと思われるような内容です。

 

  まるで、、聖書の神に辿り着くための道のようです。存在するすべてのものに、現象的な実体は無い。それがこの世での本当の在り方であるという事を悟っています。すべての悩みから解放される真実の場所、彼岸(ひがん)がある事も悟り、彼岸に渡る悟りこそが、究極の知恵である、としています。

 

  この『般若心経』が、何故か日本だけに残されているようです。日本人にとって、一番身近な慣れ親しんだお経だと思います。

 

  日本人は昔から、他人にどう思われるか、世間体を大変気にして生きて来ました。「他人様に笑われるぞ」が父の口癖でした。他人に迷惑をかけないように生きる事も大事な教えでした。かつての日本人はそう言われて育ちました。”恥じ”という事に敏感でした。

 

  また、日本人には裏と表があります。本音と建て前です。本心を見せないのです。それが、和をもって生きていく知恵でもありました。

 

  日本に来て暮らす韓国人の知人が言いました。日本人の言葉そのものを受け取っても、それが本心では無い事に気づくまでは、何が何だかわからなくて困った。外国人には難しくてわからない。

 

  私は答えました。「日本人同士だってわからないんだよ。日本人は本心を表さないで来たから、自分でも自分の本心を捉えられないのかも知れないね。」

 

  しかし、そのように生きて来た日本人には言葉に表さない、言葉の背後にある思いを読み取る能力が培われているのかも知れません。

 

  ある先生は、聖書の行間を読む、という事をしきりに言っておられました。聖書の文字には書かれていないけれど、記事の背景、人の心の動き、イエスが何を見てこう言われたのか、そういった流れの中で、表面的に捉えるのではなくて、深みを捉える、本当の意味を捉える、真理を受け取る、というのです。

 

  フィリピン人だったか、忘れましたが、「アメリカは賛美の教会、韓国は祈りの教会、日本はみことばの教会」と言っていました。それは、その人自身の言葉ではなくて、その人が周囲の人々から聞き知った事らしいです。

 

  はじめて聞きました。日本のクリスチャンは人口の1%もいないと言われています。日本にかけた、諸外国の宣教費は大変多いそうです。日本の物価が高いので、日本に宣教師一人送る費用で、発展途上国に十人以上の宣教師を送る事が出来るでしょう。

 

  莫大な宣教費をかけて、しかも実りの少ない国もしくは民族は、日本とユダヤ人だけだ、と言われているようです。

 

  その日本がみことばの教会と評価を受けているとは、驚きです。歴史的には、聖書の教えに堅く立つ、幕末生まれの内村鑑三がいました。イスラエル回復の祈りを始めた、明治生まれの中田重治がいました。

 

  中田重治の弟子達がその信仰を受け継ぎ、イスラエル回復のために祈り続けました。世界に散っているユダヤ人が再びイスラエルの地に集められる事を信じて、聖書の神に祈り続けました。1948年にイスラエルが建国され、千八百年以上前に世界に散らされていたユダヤ人が各国から帰還したのです。

 

  日本の一部の教会が聖書を信じて、聖書の預言の成就のために、聖書のみことばに立って働いて来た事は事実です。日本人には聖書のみことばを信じて、みことばに従うという、みことば信仰があるのかも知れません。

 

  たった1%しかいないクリスチャンですが、神の国のためにはちゃんと働いて来たようです。クリスチャン人口が多いか少ないのか、人数には関係ないようですね。

 

  般若心経を大事にして来た仏教徒の日本人が、キリストに改心すると、聖書のみことばを愛し、みことばに忠実でありたい、と願うのかも知れません。

 

  キリストが世に現れている現代は、仏陀やソロモンの時代とは違います。真理が開かれているのです。今は、真理を探し求める時代ではなく、すでにある真理、天から来られたキリストの十字架の贖いと復活の御業を受け取る時代です。

 

  真理とは、イエスが明らかにした父なる神と、十字架につけられた御子イエスと真理の御霊であり、イエスが与えた永遠のいのちと、御霊が導かれる神の御国です。

 

  仏陀が生涯かけて探り極めた明けの明星と涅槃は、聖書が明らかにしています。明けの明星であるキリスト・イエスを信じる事で永遠のいのちが与えられ、御霊と共に歩む事で仏陀が目指した涅槃よりも確かであり、実存する神の国に入るのです。

 

  真理は永遠に続くものです。永遠に変わることなく、永遠に残り、永遠に存在するものです。

 

  真理である聖書のみことばに立って、祈り、神に仕えて行きましょう。