ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本人の心

 

  日本列島には、四つの季節が巡って来ます。春夏秋冬、それぞれに景色は変わり、着る者も食べ物も風情も変わります。

 

  白い雪の降る冬が明けると、地面は眠りから覚めたように、草花を育てます。日本人の心に寄り添って来た桜の花のピンクを見ると皆が上を向いて歩きます。日本人は桜の開花を待ちわび、天気予報でも開花の状況を伝えます。桜の花が一分咲き、五分咲き、満開というように。人々は桜の花見に集まります。日本人で良かった、と思います。

 

  桜の花が散ると、菜の花、つつじ、紫陽花と次々に人の目を楽しませてくれる花が、花火のように自分の出番を待ち、満開になっては消え、次の花にバトンをつないで行きます。

 

  梅雨をくぐり抜けて、風鈴の季節がやって来ます。うちわや扇子も必要な季節です。春の黄緑の木々は、すっかり濃い緑の葉で覆われています。開放的な笑い声があちらこちらに聞こえます。かき氷、スイカ、冷や麦、そうめん、涼し気なものが食卓に並びます。

 

  蝉の声に夏だなぁ、と思い、夏一色になります。浴衣姿の人も見かけます。日本人だなぁ、と思います。ツクツクボウシが鳴く頃には、もう夏も終わりか、と感じます。

 

  夜、秋の虫の声が聞こえて来ます。もう秋か、と思うのです。夏服から、長袖の服に入れ替えなければ、と考えます。

 

  暑い日が続いても、風に秋を感じます。少し涼しくなって来たな、と思っていると

景色は少しずつ黄色っぽくなり、木々の葉っぱが黄色やだいだい、赤色に色づいてきます。

 

  皆が長袖になったなと思うのもつかの間、上着が必要になって来ます。秋が深まると手袋、マフラーが必要になり、いよいよ冬だ、と思うのです。

 

  暖房のきいた部屋の窓ガラスは曇り、鍋を囲んでほっこりします。クリスマスの賑わいや町のネオンを見て、いよいよ年末だね、と思います。大掃除をして、昔の日本だったら、家族でこたつの中に入って、みかんを食べていました。

 

  大晦日に、今年も終わりだなぁ、と思いつつ年越しそばを食べます。除夜の鐘が鳴り、年を越したことを実感します。

 

  良い年になるようにと願いながら、元旦を迎えます。また、新しい一年が始まります。

 

  日本人は、季節ごとに、衣装を入れ替え、生活を変化させて、一つの季節が終わるのを惜しみ、次の季節を迎える準備をして、次の季節を待ちわびる、その繰り返しで季節に適応しながら暮らして来ました。

 

  日本に住む人の暮らしは、勤勉で先に備えての準備の習慣が身につくのではないのか、と思います。

 

  日本人は、こういう状況で自然の環境に合わせて生きてきました。自然に逆らわず、自然に抱かれるように自然に養われてきました。

 

  日本列島の自然環境が日本人をつくり、日本人の勤勉さが日本列島の環境をつくり維持して来たのです。

 

  神が最初の人アダムを造り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせました。そのように、美しい四季の島、日本列島に日本人を置いて下さったように感じます。

 

  日本人は、忠実に耕し、日本列島を守って来ました。日本人は桜の木を増やし、全国に広げて桜の花を咲かせました。神は、日本人の勤勉を祝福し、日本の地には、美しい富士の山と、全国に咲く桜と、自然を愛でる美しい心を与えて下さったのです。

 

  そして、日本人の心を一つにする天皇家を置かれたのだと思います。東と西に分かれる文化の違いも、天皇の存在が日本の文化の中心となって、国は一つにまとまり、礼儀を重んじる風土を形づくったように思います。

 

  天皇は、日本人にとって、決して神ではありません。畏敬の念を抱かせる存在でした。宗教ではなく、尊敬に値する親のような存在でした。親に褒めてもらいたい、親を喜ばせたい、という子どものような心の国民は、天皇に献上するために良いものを心掛けて、品質の良いものを目指した結果、日本は品質の良いものを作り出す国民になったのだ、と考えます。

 

  日本に訪れた外国人は、電車の網棚に荷物を置いて眠る日本人の無防備さに驚くようです。また、赤信号で立ち止まっている多くの日本人の、ルールを守る几帳面さに驚くようです。

 

  あるユダヤ人の先生が言っておられました。もし、ユダヤ人ではなく、神と契約を結ぶ民が日本人だったら、皆が約束を守るから、神の契約はユダヤ人のように時間がかかることなくすでに、キリストは再臨していただろう、と冗談を言われました。

 

  日本人の几帳面さや和合する精神は、天皇という国民を照らす光のような存在があったからではないのか、と思います。

 

  天皇は国民を愛し、国民の幸せを祈る祭司なのです。暴君ではなく、国民を支配する王でもありません。神の近くにいて、国民を代表して、神の御前に出て、執り成す祭司だと思うのです。ですから、国民の魂は、天皇を慕い、敬意を払うのです。

 

  ご自分とご自分の家族を優先にして、国民を愛さない天皇だったなら、今まで続くことは無かったことでしょう。

 

  幸い、今上天皇、令和の天皇は、幼い頃から天皇になるためにご自分を献げておられ、国民のために心を砕いて祈られる方です。天皇を敬愛し、国民を愛して下さる皇后と、天皇陛下と同じく天皇家にお生まれになった品格と覚悟をお持ちの愛子様がともにおられます。

 

  今上天皇と愛子様は、昭和天皇の高い精神性を受け継ぐ、天皇家に生まれるべくして、お生まれになった方々だと思います。このご一家は、歴代の天皇の完成形と言っても、過言ではないと思います。

 

  天皇という位が、世界的にローマ教皇の位よりも高く評価されている事を知って、日本の国に対して、神はどんなご計画をお持ちなのだろう、日本人には、どんな役割があるのだろう、と思いました。

 

  天皇ご自身の存在に意味があるのであって、天皇は皇室の権威を抜きん出ている唯一の存在なのです。平成では、皇室というよりも、天皇家とともに国民は歩んでいたと思います。宮家ではなく、天皇家が中心におられました。