ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

令和の天皇

 

  浩宮様(現令和の天皇)は、幼い頃から天皇となるための教育を受けて来られました。そして、皇族や華族(明治維新以降から太平洋戦争までの間に存在していた特権を持つ身分階級。それ以前の公家や大名等の貴族)の学び舎である学習院を卒業されました。

 

  「将来、何になりたいのですか」という大人の問いに、迷う事なく、「天皇」とお答えになられ、その思いは生涯ぶれる事はありません。

 

  天皇の勤めを果たすために、ご自分の人生を捧げられたのです。

 

  弟君の礼宮様(現秋篠宮)のご婚約者紀子のお父様は、学習院の川嶋先生でした。ある日のニュースで、皇太子浩宮様が教鞭をとる姿が映りました。先生の体験をされたのです。学習院の教師である、川嶋先生は腕組みをしてその様子をご覧になっていました。

 

  私のイメージでは、皇室のお子様には、学習院の先生方も直立不動で敬意を表していたように思っていましたが、「へぇー」と驚きました。私は、革命家のような印象を持ちました。アンチ皇室だろうか?でも、お嬢さんは礼宮様の奥様になられるのだから、そんな事は無いだろう、と思ったものでした。

 

  平成の天皇(現上皇)家には、三人のお子様がおられます。浩宮様と礼宮様と紀宮様(現黒田清子)です。お母様の美智子様は、一番下の女性皇族である紀宮様がご結婚で皇族を離れて平民となられる事を見込んでお育てになられたそうです。

 

  皇太子が天皇に即位されて、大嘗祭(だいじょうさい)の準備がされました。大嘗祭は、五穀豊穣と国民の安寧を祈る儀式だそうです。天皇が一代に一度だけ行う重要な儀式だそうです。

 

  宗教色の強い儀式であるため、国の行事としてではなく、皇室の行事として行われ、費用は、国にとって重要な儀式であり、公的な性格の事柄として、公費(宮廷費)から支出するそうです。

 

  二十億以上かかるこの費用について、秋篠宮様と紀子様がともに記者会見で、「大嘗祭は宗教色の強いもので、国費でまかなう事が適当かどうか」と発言された上で、「天皇の私的生活費にあたる内定費から支出されるべきだ」とお考えを示されました。

 

  クリスチャンのある方は、皇室の方の中からこのようなご意見を伺う事が出来るなんて、と感激していました。秋篠宮家の内親王おふたりともキリスト教の大学ですし、とても喜ばしく思っておられました。

 

  キリスト教の大学を卒業したからといって、クリスチャンであるわけではありません。信仰があるわけでは無いのです。知識があることで、毒麦の働きをする事も考えられます。クリスチャンは自分達の仲間だと思って安堵しますが、見抜かなければなりません。

 

  私には違和感がありました。宗教色の強い大嘗祭を反対するのが、本来のクリスチャンの姿なのかも知れませんが、私の中では祭司としての天皇のお勤めとして、日本国にとって、大切な儀式のように思いました。

 

  クリスチャンホームで育っていない私は、キリストへの忠誠があいまいなのでしょうか。天皇は、日本国のため、日本国民のために祈るのに、天皇の生活費で行いなさい、というのです。祈りは、天皇がプライベートで行っている事でしょうか。私的な事ならば、神も私的レベルでしか働かれないのでは、と案じました。

 

  その頃、秋篠宮家の真子内親王と小室さんの結婚の話題が国民の中に、浸透し始めていました。納采の儀(国民の結納に当たります)が先延ばしになったのです。

 

  私は、クリスチャンなのに、大嘗祭が公費で行われる事に賛成でした。ご結婚の時に真子内親王がお受け取りになるはずの結婚一時金の額をはるかに上回るお金が、納采の儀もしていない(つまり、結納を交わしていない)小室さんの警備費のために使われていました。秋篠宮様の会見を拝見しながら、ご結婚によって皇族を離れ平民になられる、ご自身のお子様のために国民の税金が支払われている事は平気なのだろうか、と思いました。

 

  納采の儀も終わっていないのに、婚約者のような待遇をする事にも、疑問がありました。私の中で、国民のために行われる大嘗祭の事よりも、小室さんの事の方が秋篠宮家のプライベートな事であって、秋篠宮家の生活費から支払うべきではないのか、と不服に思いました。

 

  真子内親王の映像を観る時は、今、日本国民の子どもの6~7人にひとりが夕食を満足に食べられない状況である事をご存じなのだろうか、ご自分の愛する一人の平民のために湯水のように国民の税金が使われる事に心が痛まないのだろうか、と思ったものです。

 

  しかし、この事を通して、秋篠宮様は国民の代表として、神の御前に立って国民のために祈られる心の無い方なのだ、と理解しました。

 

  令和の天皇によって、大嘗祭が執り行われました。小雨の日でした。高御座(たかみくら)から天皇と皇后がお姿を現された時、薄暗かったその場所に、陽の光が差し込んで来ました。神々しい思いがしました。

 

  神が令和の天皇と皇后を祝福しておられるかのようでした。それまで、小雨だったのに、いつ雨が止んだのか意識をしていなかったのに、タイミングよく、天皇と皇后がお姿を現されるのを待っていたかのように、太陽が現れ、陽をさしたのでした。

 

  私の中に、静かなる喜びがありました。神はこの日本を顧みておられる。私が信じている神、キリストの父なる神、天地創造の偉大なる神が、日本国民と世界平和のために執り成して下さる天皇とともにおられる、と思わされました。

 

  夕方のニュースで、大きな大きな欠けの無い綺麗な虹が出ていた事を知りました。

 

  その頃、日本は洪水があちらこちらで起こっていました。虹は、もう二度と洪水で人類を滅ぼす事はしない、とノアに誓われた神が、契約のしるしとして天に現されたしるしである、と聖書にあります。その時、初めて大空に虹が現れたそうです。

 

  ノアとその家族が、人類で初めて虹を目撃した人々であり、虹の契約は今も続いています。その虹が、大嘗祭の日に現れたのです。

 

  天皇が祈っておられたのだ、と思いました。国民の命が守られるように心を注ぎ出して祈られたのだ。神はその祈りを受け取って、「その祈りは聞き入れられた。洪水が起こるのはやむを得ないが、被害は最小限にして、守ろう」と約束されたような気がしました。

 

  日本で災害や疫病の死者が抑えられている、その背後には、天皇の祈りがあるのだ、と思います。