今では九十代になった知識豊富なクリスチャンの兄弟が、色んな事を話し、聞かせてくださいました。
ある新聞社の新聞記者が、皆の注目を集める特ダネをつかむ事に心が捉えられていました。これだ、と思って多くの脚色で出した記事が当たりました。
それが、韓国人の慰安婦についてでした。その記事の内容に国民の心は捉えられて、大スクープとなったのです。
しかし、その内容が韓国にも知られ、国際問題に発展する事になりました。記者が功名を挙げるために書いた記事がとんでもない事になってしまったのです。
後に、あの記事の内容は事実では無かった、と公表しますが、後の祭りです。日本人には、特ダネのために嘘っぱちを書いたとんでもない記者だ、で終わりますが、在日韓国人や韓国人には、記事の内容が真実として深い恨みに進展して行きました。
功名心に駆られた一人の愚かな日本人によって、日韓の間に消す事の出来ない歴史上の事実として残ってしまいました。
その兄弟は言いました。「それまで、慰安婦なんて言葉は語られた事もなく、韓国人の中に問題意識も無かったのに、余計な事をしてくれたもんだ。」
国家間の問題となり、日本国は韓国に当時のお金で十億円の慰謝料を韓国の元慰安婦に支払いました。しかし、韓国はそのお金を国の発展のために使ったそうで、慰安婦にわたる事は無かったようです。
まともに食べる事も出来ないほどの貧しい韓国を出て、子どもの頃両親家族と共に日本に移住して、日本に帰化した韓国人の人が言っていました。
「貧しい韓国人の中でも、慰安婦は日本人からお金をもらって、彼女達の家には、食べる物があった。穴の開いたような、ボロボロの掘っ立て小屋のような所に住んでいる韓国人の中で、慰安婦の家は立派だった。だから、韓国人は、慰安婦を憎んでいた。日本に魂を売った非国民として嫌われていた。」
こよなく日本を愛し、同胞の韓国人を慈しむその帰化したクリスチャンは、「韓国人は恨みの民族です。どうしようもありません。憐れな民族です」と嘆いていました。
恨みを捨てる事が出来ない民族ですから、日本人も憐れんで赦してやってください、と執り成しているかのようでした。
在日韓国人のクリスチャンの姉妹と話していると、幼い頃日本人にいじめられて辛かったことを話してくれました。家に帰って、「お母ちゃん、韓国人が日本人に何をした!何か悪い事したなら、日本人に謝って!」と激しく訴えたと言います。
日本人は、迷惑を掛けないようにと互いに気遣いながら、生きて来ました。輪の中に入って同調しながら争いを避け、他人の目を気にして生きて来ました。また、相手との間に不快感を残さないように言葉遣いにも気遣うような人々もいました。
そんなコミュニティの中では、相手を敬う言葉遣いではなく、また、日本人のように同調する生き方をする事無く、日本人と和する事の無い人達の存在はある意味、日本人に脅威となったと思われます。
その当時の日本では、日本人同士でも、和合する事の無い人は、嫌われ仲間外れになりましたから、尚更だったと思います。
そんなに辛い思いをするなら、韓国に戻った方が良かったのでは、と言うと、「日本で生まれ育った家族は両親以外は韓国語が話せないのです。韓国には私たちの居場所はありません」と言っていました。
他国に住んでいる日本人も、やはりその国で同じような待遇を受けている事を知った時、これは、どの国でも起こっている民族間の問題なのだな、と思いました。
外国で辛い目にあった日本人の話を聞く日本人は、同情はしますが、その国に対して憎しみを持つという事は、まず無いでしょう。話を聞きながら、なんでその国に行ったんだろう。日本にいればよかったのに、と思う事でしょう。外国の事は思いの外にあるもので、あくまでも関心事はその日本人に置かれる気がします。
韓国から日本に来て住んでいる韓国人の姉妹も言っています。「韓国人は恨みの民族ですから仕方ありません。」
韓国で反日運動がすごい事になっている時、言っていました。「すべての韓国人がそうではない。」「慰安婦問題でデモを行うのに、お金を支払ってデモする人を雇っているんだ」とも言っていました。
また、アメリカや日本に敵対する事は韓国にとって意味の無い事だ、アメリカ、日本から離れたら、北朝鮮や中国が韓国に流れ込んできて、韓国が韓国でなくなるかも知れない、と心配していました。
そういえば、九十代のクリスチャンの兄弟も言っていました。「韓国は日本の事を憎んでいるが、もし歴史で日本が関わっていなかったら、韓国は今頃北朝鮮の国になっていただろう。民主主義ではいられなかったはずだ。」
韓国人に嫌われ虐げられていた元慰安婦も、今では、韓国に収益をもたらす大切な国民として、市民権を得ています。
民族とは不思議なものです。外部の者に対して一丸となる特別な共同体です。
神の道を心の根底に持つ日本人は、怒りや恨みや呪いは、どうか捨てていただきたいと思います。
怒りに怒りで返したり、恨みに恨みで返したり、呪いに呪いで返したりするのではなく、天皇を代表として、神を畏れ、いのちの神に仕えて来た歴史ある日本人として、自分達が行って来た悪い事は神に謝って赦しを受けて、世界平和を祈る天皇が置かれている国の国民にふさわしく、平和を求めましょう。
「大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。
ですから、誰でも自分自身をきよめて、これらのこと(不義)を離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。即ち聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」と新約聖書にあります。
神にとって有益なものとなるために、悪い心を捨てて、努力していきましょう。尊いことに用いられる民族となっていきましょう。