ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

民族のアイデンティティ

 

  一人の在日韓国人の姉妹の証です。幼い頃から、何か自分は周りの日本人とは違うと感じて生きて来ました。

 

  ある時、宣教師と出会い、日本人ではないその人を心の拠り所として、教会の日曜学校に通うようになりました。

 

  神のお話、イエス様のお話を聞いても、神の愛は受け取れません。何故、神が愛ならば、私がこんなに苦しんでいるのを知りながら、ほおっておかれるのでしょう。悲しみを知りながら、何もしてくれない神なんて私にとっては神ではない、とまで思っていたのでした。

 

  しかし、大人になって一つの聖句により、神を悟ったのです。

 

  「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見出すこともあるのです。

  確かに、神は、私達ひとりひとりから遠く離れてはおられません。私達は、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」聖書使徒の働き17:26~28

 

  その人は言いました。韓国人でありながら、異国の日本に生まれたことで、自分はいったい何者なのか。韓国人なのか?日本の国で生まれ日本語を話す自分は日本人なのか?自分の存在がわかりませんでした。

 

  しかし、この聖句が心の奥深くに届いた時に、わかったのです。神は私の苦しみを見過ごしておられたのではなくて、自分のアイデンティティを探し求める事で神に出会うように計画しておられたのです。神の存在を知り、神の国の国民とするために、神は日本で生まれた韓国人としての人生を私に与えられたのです。

 

  日本で生まれた日本人の私は、この姉妹がこの聖句で神がわかった、という事が理解出来ませんでした。

 

  今ようやく、人知を超えた神の愛に気づき始めました。

 

  民族のアイデンティティは、日本民族の中にいるうちは、あまり考える事なく過ごします。しかし、他民族と接する時に、自分が日本人である事を認識するのです。

 

  オリンピックなど国際的なイベントの時には、自分が日本人であることを改めて思い知らされます。国を挙げて、日本人選手を応援するからです。

 

  また、日本人が世界で活躍するニュースを聞くと、誇らしく思います。日本人が他国でとんでもない事をすると、心は痛み、よそ様の国で何て事をしでかしてくれたんだと怒り、日本の恥だと思います。普段は意識していないのに、まるで大きな家族のように国民の心は一つとなります。

 

  このように、神は民族ごとに、国ごとに特別な連帯意識を持たせておられます。他民族や他国との関わりでトラブルが起こります。悪い事のように思っていましたが、実は、この事の中に、ひとりひとりに肯定も否定も含めて、この不具合の中で自分が何者なのか、自分の居場所はどこなのかを探り求めさせて、彼らが出て来た源である神に辿り着かせるためであったと、私も理解し始めました。

 

  他国で住んで、キリストに出会う人は多いと思います。神にとっては、その人の魂が、神のもとに帰る事が目的です。永遠の火から救い出すためにその人に与えた道なのです。

 

  自分を支え守る組織的なものが感じられない異国の地で、自分の居場所を求め、自分を安らがせてくれるものを探し求める彼らに、神は出会う用意をされているのです。

 

  人類の最初の人々は、ひとつの言葉でした。しかし、神に反逆するニムロデによって、人には力がある事を示そう、もはや被造物ではなく神と同じように作り出す者であり、天に近づく者である事を誇示しようと、人々を結集してバベルの塔を作り始めました。

 

  ニムロデは、人類を大洪水で滅ぼした神を憎んでいました。焼いたレンガを作り、石の代わりにレンガを用い、粘土の代わりに瀝青(アスファルト)を用いて、水に強い天に届く塔を建てようとしたのです。

 

  これをご覧になった神は、「彼らが皆、一つの民、一つの言葉で、このような事をし始めたのなら、今や彼らがしようと思う事で、留められることは無い。さあ、降りて行って、そこでの彼らの言葉を混乱させ、彼らが互いに言葉が通じないようにしよう」といって、主が全地の言葉を混乱させました。

 

  そして、言葉が通じなくなった人々をそこから地の全面に散らした、と聖書に書かれています。

 

  言葉が多様になったのは、悪いものによって人類が一丸となり、神に逆らうことがないようにするためでした。神は、人類を神に立ち返らせて、救いを与える計画を持っておられたのです。すべての者が滅びることの無いために、散らされました。永遠に生きる者に回復させるためでした。

 

  民族のアイデンティティを持つことは大切なことです。アイデンティティが無いと水に浮かぶ浮草のようです。今居る場所も、これから向かう先もわからない生き方に安住して、神に辿り着くことは難しいでしょう。

 

  人の身に起こるすべての事は、その魂が神に帰るきっかけをつくるためです。神の願いは、人が神を知り、神に立ち返り、神の国に入って、永遠の安息を受け取ることです。

 

  現在、世界の国々は、民族が入り混じって様々な混乱があります。神は、すべての民族のそれぞれに、神の役割を与え、それぞれの民族が自分の民族に与えられた働きをすることで、ひとつの神の国を生み出そうとしておられるのかも知れません。

 

  民族と民族は敵対して争いますが、神はその中で人のうちに神に救いを求める心を与え、また、神はその中に平和の子らを見つけて、神の国に集めておられるのかも知れません。