ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本人の精神に流れる良きもの

 

  日本人の精神性に影響を与えたと言われている儒教も、日本の地で道徳心として、日本人の心に植え付けられました。 

 

  仏教は、日本人に救いという希望を与えました。地震、津波等自然災害とともに生きて来た日本人は、目には見えないけれども、自然の中で働かれる大いなる存在を常に意識していました。

 

  災害を神々の怒りと考えて、神を畏れ、神を祀り、神が日本人の敵とならないように、取り計らって来ました。

 

  国難のある度に、神々の守りと力をより強固にするために、神々の数が増えて行ったのかも知れません。

 

  島国の日本人にとって、隣国からの脅威よりも、自然を通して働かれる神の御怒りは村中で、また、国中で取り組む脅威であり、神を祀り神の御怒りを逃れることは大事な大事な関心事であり、日本国が存続するための大事な行事が日本各地で営まれました。

 

  日本人は神の恵みも知っていました。神が与えてくださる恵み、農作物の収穫や魚の捕獲の恵みを神に祈願し、神に感謝していました。

 

  日本人は自然の恵みの中で、自然を司られる神とともに生きていました。日本人は神々の怒りを恐れる民でした。神に背かないように、神と敵対しないように、と村中で戒め合って暮らして来ました。

 

  神は恵みの方でもありますが、日本人にとって恐ろしい方でもありました。機嫌を損ねたら、手の施しようがありません。

 

  自然をもって現れる神、目に見えない大いなる神を恐れながら暮らしていた日本人に、仏教の教えは日本人の心に寄り添う、穏やかで優しく慰め諭す母の愛のような存在だったのではないのかと思います。

 

  神が権威ある父ならば、仏のうちには、包んでくれる母親のような安らぎを感じたのではないでしょうか。

 

  仏教では、人間の姿を浮き彫りにして、正しくあることを教えてくれます。仏の教えに従った人間が生きるべき正しい生き方をするならば、神の御怒りを避けることが出来るでしょう。

 

  仏教は、神を恐れる日本人に、神に受け入れられる正しい生き方を教えてくれました。また、仏教の教えで、死後に、極楽と地獄があることも知ることが出来ました。

 

  自然災害で神の怒りを体験している日本人には、地獄の意味がよく理解出来ました。人間の力では逃れる事が出来ないことも理解出来ました。

 

  しかも、説法を聞き、仏の教えを守るならば、極楽とやらに入ることが出来るのです。なんと有難いことでしょう。そこでは、もう神の怒りに怯えることなく、平穏な暮らしが続くのです。日本人は喜んで仏の教えに耳を傾けました。

 

  人間の意思とは異なる意思を持ち、目には見えないけれども大きな力で支配しておられる神の存在を意識する日本人に、救いという概念をもたらしたのは仏教でした。

 

  神の御怒りからの救いは、日本人にとって絶大なる希望を与えたことでしょう。

 

  日本人は神を信仰というよりも、精神で捉えて来たように思います。それは、茶道、武道に伴なう精神性と似ています。作法とともに、一本筋の通った、厳粛なほどに凛とした精神性です。

 

  日本人には、信仰としてではなく、精神の中に神が宿っているかのようです。神は自分の外側におられる方ではなく、自分の精神の中にあるのです。

 

  そして、そのことは、宇宙よりも大きくて目に見えないけれども意思を持つ、霊的存在なるものの中で生きることであり、その目に見えぬ存在と繋がる精神性を感じさせます。

 

  歴史の中で、日本人は神と言う呼び名を口にするのは、原始的で恥ずかしいことだと思うようになり、今では、日本人の精神とともにいる目に見えない存在が神であるとは表現もしないし、認識も薄いのかも知れません。

 

  日本人にとって、いのちの神は精神となってしまい、信仰が伴わない霊的存在となっています。

 

  創造主であるいのちの神に仕えるはずの神道に、人間に拠点を置く仏教の教えの影響で、様々な偶像が入り込みました。

 

  挙句の果てに、人間が捉えやすいようにと、霊なる神に代わって目に見える獣やはうもの(狐や蛇等)を神の姿として祀るようになりました。

 

  また、死んだ偉人を神に祀り上げて、霊なる真のいのちの神を侮り、日本人に拝ませることで、滅びの道を歩む国民としてしまいました。

 

  本当の救いは、日本人が恐れて来た自然の中で働く神、いのちを司り、生かして下さる神にあるのです。

 

  神はひとりしかおられません。たとい日本人が、自分達の都合に合わせて、多くの神々を作って拝んだとしても、天地万物を造られた神はおひとりだけです。

 

  また、人々が恐れている永遠に燃え盛る火、地獄から救い出し、永遠の安息を与えられる方は、万物を造られた神おひとりだけです。

 

  天地万物を造られた神、創造主は、神の御国の鍵と燃えるゲヘナの鍵を持っておられ、人類を裁かれる、唯一の裁き主でもあるのです。

 

  日本人の精神に流れる良きものは、この主権者、いのちを与え、いのちを取られるいのちの神に与えられたものです。

 

  神との契約を持たない日本人は、神が救い主キリストを遣わされることを知らないで、いのちの神を意識して生きて来ました。

 

  神との契約を持つユダヤ人は、ユダヤ人が神ご自身が神の民、神に仕える祭司の国民として造られていることを知っており、イスラエルから救い主キリストが生まれることを信じて待ち望んで来ました。

 

  日本人の中に置かれた、日本人の精神に植え付けられた良きお方、いのちの神が救い主を人類に用意されていたのです。

 

  仏教は、神道では知ることの無かった救いの存在を知らせ、日本人に救いを求める信仰を与えました。

 

  しかし、実は、神道に隠された最初の神、天御中主神(アマノミナカヌシノカミ)即ち創造主である神、万物の起源である神が救い主を送られるのでした。日本人はそれとは知らずに、ユダヤ人が仕えて来た聖書の神、天地万物を造られた神を神として畏れ、仕えて来た民であったのだと思います。