ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イスラエルの中にも見た事がない信仰

 

  ある百人隊長に重んじられている人が、病気で死にかけていた。この百人隊長は、ユダヤ国民を愛し、ユダヤ人の会堂を立てた人だった。

 

  ユダヤ人の長老達は、イエスのもとに行き、百人隊長のしもべを助けに来て下さるようにお願いした。イエスは、彼らと一緒に行かれた。

 

  百人隊長は友人たちを使いに出して、百人隊長の家の近くまで来られたイエスに伝えた。

 

  「主よ。わざわざおいで下さいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ですから、私の方から伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせて下さい。そうすれば、私のしもべは直りますから。

 

  と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士達がいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、その通りにいたします。」

 

  これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆の方に向いていわれた。

  「あなたがたにいいますが、このような立派な信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」

 

  イエスはいわれた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」

 

  使いに来た人達が家に帰ってみると、しもべは良くなっていた。

 

 

  イエスは、弟子達を遣わす時に、「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい」といっておられます。 

 

  イエスご自身もイスラエルに遣わされている、というご自身の使命からずれることはありませんでした。ご自分を遣わされた神に忠実でした。イエスの心は神の御心が成就することにあり、父なる神が栄光をとられることを望んでおられたのです。

 

  カナン人の女が叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私を憐れんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」

 

  しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子達はみもとに来て、「あの女を帰してやって下さい。叫びながら後について来るのです」と言ってイエスに願った。

 

  しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません。」といわれた。

 

  このように、イエスは父に忠実な子羊でした。「ユダヤ人の王」として生まれたイエスは、天の父なる神から神の民ユダヤ人のために遣わされていたのです。父に命じられたこと以外のことに心を払われることは無かったのです。

 

  神の子羊として十字架の贖いの死を完了させたイエスは、復活のキリストとして、弟子達に現れました。弟子達の見ている前で昇天し、公にキリストとして現れた主イエス・キリストは、「イスラエルの王」となられるお方です。

 

  復活のキリストは、イスラエルの王として、選びの民を集められます。血肉のユダヤ人だけではなく、イエスを主と告白する新しい主の民をイスラエルに加えられるのです。

 

  ユダヤ人のために遣わされていたイエスは、百人隊長の信仰に驚きました。神のことばの力を信じ、神のことばによって世界は回っていること、神の秩序があり、神の霊はその秩序の中で働かれることを知っていたのです。

 

  ユダヤ人は律法に縛られ、霊なる神を見失っていました。ユダヤ人は、イエスにしるしを求めました。イエスがキリストである証拠を見せてくれと迫ります。

 

  ユダヤ人の霊は死人のようでした。霊なる神を捉える霊性を持ち合わせていなかったのです。

 

  百人隊長の信仰を見て、「わたしはイスラエルのうちの誰にも、このような信仰を見たことがありません。」とイエスは、驚かれました。

 

  イエスは、続けていわれました。

  「あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。

  しかし、御国の子ら(神が造られた契約の民で御国に招かれていたが、神が遣わした神の子羊イエスを信じない者達)は外の暗闇に放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」

 

  モーセが神から十戒を受け取って、神の民イスラエルとされたユダヤ人なのに、彼らの仕えるイスラエルの神が、イスラエルに遣わされたキリストを知る事が出来ませんでした。

 

  イスラエルの中に数えられていない百人隊長は、イエスがキリストであることを信じました。ユダヤ人の神を畏れる百人隊長は、しもべが癒される前から、イエスをキリストであると信じていました。

 

  神の民だと自負しているユダヤ人が見ることが出来なかった、イエスのうちにある神性と神から受けた権威を、百人隊長は受け取っていました。百人隊長は、イエスに神の栄光を見、神から出たキリストであると理解したのでした。

 

  ユダヤ人が侮り捨てたキリスト・イエスを、その価値を知る異邦人が崇め、神の子として迎えたのです。

 

  そして、イスラエルに遣わされていたイエスはいわれました。神の御国では、たくさんの人(ユダヤ人でない人)が東からも西からも来て、契約の民の父祖アブラハムやイサクやヤコブとともに、一つの家族となることをいわれたのです。

 

  そして、霊の目を塞ぎ、心高ぶり、心頑ななユダヤ人がそこに入ることが無いことをいわれたのです。本来、御国に招かれていた神の民ユダヤ人の中から入れなくなる者がおり、招かれていなかった異邦人が神の子として集められるというのです。

 

  イスラエルの中にも見たことがない信仰をもって、神に近づきましょう。契約の無かった異邦人、無割礼の異邦人を、神の御国に招いて下さるのです。この恵みを価値のわからない者達のように、台無しにすることがありませんように。

 

  霊の目が開かれ、神の栄光を見、神の栄光を褒めたたえる、神の国民として、聖霊によって、新しく生まれましょう。