ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御霊は生ける水

 

  イエスは、「わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」といわれました。

 

  イエスは井戸のかたわらに腰をおろしておられた。ひとりのサマリヤの女が水を汲みに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」といわれた。

 

  サマリヤの女は、ユダヤ人が蔑み嫌うサマリヤ人に、飲み水を求めるイエスを怪訝に思いました。

 

  イエスはいわれた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者が誰であるかを知っていたなら、あなたの方でその人を求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたでしょう。」

 

  神の賜物とは、アブラハム、イサク、ヤコブの神が、イスラエルに遣わされた贖いの神の子羊のことです。神が人類に与える救い、神のもとに帰る道、天に開かれる一本の道を設けられる救いの君です。

 

  神のご計画は着々と進められていました。地上に救いの君を待ち望む神の民イスラエルを造り、このユダヤ人のうちにダビデ王を立て、ダビデの子孫にこの救いの君が生まれることを語っておられました。

 

  神は具体的に、この救いの君は、ダビデの子孫としてベツレヘムで処女の女から生まれることを知らせておられます。

 

  この救いの君は、天から神が遣わされる神の御子であり、異邦人の希望、全人類の救世主なのです。

 

  サマリヤの女に水を飲ませてくれと言っている者、ユダヤ人のイエスが、その救世主なのです。

 

  イエスは、「あなたに水を飲ませてくれと言っているわたしがその救世主である事を、あなたが知っていたなら、あなたの方でこの救世主であるわたしに救いを求めたことでしょう。そして、わたしは求めるあなたに、生けるいのちの水を与えた事でしょう。」とサマリヤの女にいわれたのでした。

 

  イエスは、サマリヤ人にも求める者には救いを与えられるのです。

 

  イエスは、弟子達に「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい」と命じられました。

 

  イエスは、神がイスラエルに遣わされた神の子羊でした。世の罪を取り除くために来られた、罪の生贄の子羊でした。神が用意されたこの生贄の子羊を屠るのは、神が祭司の国民として造られたユダヤ民族だったのです。

 

  イエスは、神が遣わされた神の子羊を神の民イスラエルに知らせるために、また、神の民に、創造主であるアブラハム、イサク、ヤコブの神、イスラエルの神である、イエス・キリストの父なる神を知らせ、父なる神について、神の御国について、永遠のいのちについて、教え悟らせるために来たのです。

 

  イエスは、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません」といっておられます。

 

  神の御子イエスは、ご自分に肉体を造り、ご自分を世に遣わされた御父に忠実でした。御父の御心、御父が命じられたこと以外は行われなかったのです。神の御国に入る者、神が集められる者がどのようであるかを、自らの歩みで示しておられるのです。

 

  異邦人に救世主を知らせるのは、イエスから神のみことばを委ねられたユダヤ人、キリストの復活の証人であるユダヤ人の務めでした。これが、神の民イスラエルの成すべき働きだったのです。「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」とは、イエスが、ユダヤ人の弟子達に命じられたのです。

 

  イエスは、ご自分をイスラエルに遣わされた父なる神に忠実だったのです。

 

  しかし、ここでイエスはイスラエルの兄弟、もうひとつのイスラエル、ダビデに背いた十部族にも救いを語り、異邦人の救いが開かれることを明かされたのでした。

 

  イエスは、「わたしが与える水を飲む者は誰でも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」といっておられます。

 

  祭りの終わりの大いなる日にも、イエスは立って、大声でいわれた。

  「誰でも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

 

  イエスが与える生ける水とは、池のような溜まった水ではありません。湧き出る新鮮な水、人を生かす生ける水であり、永遠のいのちへの水なのです。

 

  キリストを信じる者の心の奥底に、永遠のいのちへの水が湧き出る泉が造られ、生ける水の川が流れ出るようになる、というのです。 

 

  これは、御霊の働きです。

 

  神の子羊イエスが十字架で贖いの死を遂げて、墓に入りました。三日目にキリストを死人の中から呼び、永遠のいのちと復活のからだで甦らせたのは、聖霊の働きでした。

 

  イエスは、神から申し渡された神の子羊としての任務を完了して、今は、天の神の右の座に座しておられます。

 

  今は、聖霊の時代です。地上には、御霊が注がれています。キリストを信じる者のうちに、御霊が住まわれるのです。

 

  人の心は空洞で、この空洞を満たそうと満たすものを求めて、探し求めます。夢や目標を掴んで、その実現のために努力を重ね、充実した時を過ごします。しかし、実現すると、またぽっかり穴が空いたように感じるのです。新しい目標を捜し求め、終わりがありません。いつまでたっても、どこまでいっても、心は渇いているのです。

 

  しかし、御霊が与える水は、心の奥底から泉のように湧き出て、川のように流れる生ける水なのです。外から与えられる水ではなく、その人の心の奥底に湧き出す水なのです。

 

  心の奥に、他の人は入って来ることは出来ません。本人しか、わかりません。この水について、聖書イザヤ書には、こう書いてあります。

 

  「主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水の枯れない源のようになる。」

 

  これが、キリストを信じる者に与えると、イエスが約束された生ける水、即ち御霊です。

 

  心の奥底に生ける水の泉を持つ者は、エデンの園で暮らしていた頃のアダムとエバのように、神との交わりと喜びと平安を得るのです。

 

  それは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。その信仰は、永遠のいのちへと続いているのです。