人類の祖は、アダムとエバです。アダムの不義によって人は神のもとから追放されました。
神から食べてはならないと命じられた善悪の木の実を食べて、神の警告通りに、霊的に死んだのです。肉体の命に死に、終わりには霊の滅びを宣告されて、悪魔のために設けられた永遠の火に投げ込まれる運命を負いました。
アダムとエバから始まった人類の歴史は悪い方向に流れ、神から遠く離れて堕落しました。人の住む世は、暴虐に満ちていました。
神は、地上に悪が増大し、その心に計る事がみな、いつも悪い事だけに傾くのをご覧になって、地上に人を造ったことを悔やみ、「わたしは、これらを造ったことを残念に思う。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで、わたしは、彼らを地とともに滅ぼそう」といわれた。
そして、四十日四十夜、地の上に雨を降らせ、大洪水の大水ですべてを滅ぼされました。神は、その時代にあっても神とともに歩む正しい人ノアにその計画を知らせ、大水から救う箱舟を造らせました。
それで、ノアとその家族は、箱舟に入って大水から救い出されました。ノアには、三人の息子と各々に妻がいました。三人の息子から、人類は生まれ、分かれたのでした。
地上の人類は、すべてノアの子孫です。日本人は、ノアの息子セムの子孫です。ユダヤ人も、アジア系の民族は、このセムの子孫であり、セム族です。地球上の人類は、さかのぼればすべて、ノアに辿り着き、また、アダムの子孫です。
ノアの時代に暴虐に満ちた世界を大水で一掃された神でしたが、終わりの時代には、救世主を地上に遣わして、世の罪を取り除く計画を実行されました。
神は、神を畏れるアブラムを選び、彼の子どもイサクから、天地万物を造られた真の神を畏れ仕える祭司の国民を創造して、その国民に神が油を注いだキリストを遣わすことを約束されました。
時至って、神の計画は実現しました。神の民イスラエルのダビデ王の子孫ヨセフの家に、神の御子イエスが生まれたのです。
東方の賢者達が、星によってユダヤ人の王が生まれたことを知り、星に導かれて幼子イエスのもとに訪れて、御子イエスを礼拝しました。
イエスは成長し、ユダヤ人に、ユダヤ人が私達の神と呼んでいる、天の父なる神について、また、天にある魂の故郷、神の御国について、永遠のいのちについて、教えました。しるしや奇跡によって神の御力を現し、生ける神の栄光をユダヤ人に現されました。
イエスは、人の子としてイスラエルに来られ、神が約束された世の罪を取り除く神の子羊として、ユダヤ人の間を歩まれました。
神の御子であり、人の子であるイエスは、人々の痛みや苦しみ、病や死を担い、生ける神がわからない神の祭司ユダヤ人によって、神の生贄の子羊として、十字架で屠られました。神の御子は、世の罪を取り除く神の子羊となって、人の罪を贖うために、イスラエルに来られたのです。
十字架で屠られ流された神の子羊イエスの血は、世の罪を贖う血でした。子羊イエスの血は、完全に守れない律法の呪いを砕き、ユダヤ人を律法の呪いから解放しました。神の被造物の初穂の国民ユダヤ人の罪が赦され、被造物全体の罪も赦されました。それで、被造物全体は罪の呪い、死から解放されたのです。
神の子羊イエスは、神に受け入れられて、死に勝利し、聖霊が甦らせました。イエスは、復活のからだで弟子達に現れました。弟子達は、イエスがキリスト(救世主)であることを悟ったのです。
神が昔から預言者を通して語っておられた、世の罪を取り除く神の子羊であり、罪人を死の呪いから救い出すキリストでした。
神のことばを語り、神と人との仲介者であり、神の主権を持たれる方、人を死の滅びから救い出すキリストでした。
預言者達も皆、この方(キリスト)を信じる者は誰でも、その名によって罪の赦しが受けられる、と証していました。イエスが、そのキリストなのです。
キリストは、四十日の間、使徒達に現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、御自分が生きていることを示されました。
そして、聖霊が下られることを約束して、キリストは、弟子達が見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられました。父のもとに帰られたのです。
五旬節の日に、エルサレムでキリストの弟子のユダヤ人達が一つ所に集まっていると、皆が聖霊に満たされ、御霊が話させて下さる通りに、他国のことばで話し出しました。
キリストが約束しておられた、聖霊のバプテスマを受けたのです。彼らの舌は、神を賛美する、新しい神の舌とされ、神を褒めたたえる唇とされました。
弟子達は、キリストの復活の証人となり、イエスこそ生きている者と死んだ者との裁き主であるとして、また、いのちの君として、人々に宣べ伝え、その証をしました。
ユダヤ人はメシアを待ち望んでいます。メシアは永遠に生きる方です。そして、イスラエルを復興し、イスラエルの王として、世界を治めるのです。
イエス・キリストが、そのメシアでした。キリストは、再び天から来られて、エルサレムに住み、イスラエルの王となって、世界を治めるのです。
ユダヤ人は、イエスが神に遣わされた、神の子羊であることを信じませんでした。イエスがキリストであることがわかりませんでした。イエス・キリストがメシアであることを知りませんでした。
しかし、再びキリストが天から来られます。その時、ユダヤ人は永遠に生きるメシアを見て、イエスがイスラエルの王として来られたキリストであった、とはっきりと悟るのです。
自分を神の子と称して神を汚したナザレのイエス、神への冒瀆罪で死刑にしたあの不遜な男イエスが、神が遣わされたキリストであり、神の子羊だったことを知るのです。
メシアを待ち望んでいたユダヤ人は、メシアは既に来られていたこと、また、ユダヤ人の罪を赦しておられることを知り、メシアとして来られたイスラエルの王の国で、王に喜びをもって忠実に仕えるのです。
著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)
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