ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

救い主を知らされていない異邦人

 

  聖書は世の始まりから終わりまで、地球の歴史が書かれています。そして、目に見えるものすべては、ひとりの神によって創造され、この神の御計画に従っていまの世があることを教えています。

 

  いまの世は、神の国の完成のために存在しています。神の国に入る人の人数が満ち、彼らを神の子として整えると、神の裁きをもって、この世は閉じられます。

 

  神の国にはふさわしくない塵から造られた人を、神の子羊イエスの血ですすいで聖い者とし、御霊による新しい創造によって霊の子に生まれ変わらせるのです。

 

  肉体を持つ人間は、神を知らないで歩んで来ました。神は、人に永遠を想う思いを与えておられます。それで、潜在意識では、目に見えない大いなる力を感じ、創造主を恐れています。

 

  ダーウィンの進化論を教え込まれた人間は思いが暗くなり、神の存在を否定し、創造主の手のわざを嘲笑いますが、魂には記憶が残されており、絶対的な存在をどこの国の人も、神と呼びます。

 

  本当の神を見失っていますが、神という存在がおられると言うことは分かっています。それで、各国で、また、各民族で神を祝う祭りをしています。

 

  しかし、神と呼ばれるのは、天地万物を造られた神おひとりだけで、ほかにはいません。天地万物を造らなかった神々は、神に滅ぼされます。聖書の神は、神々の上に立つ主権者なのです。

 

  天地万物を造られた神が、人を造り、また、死ぬ人を永遠に生きる神の子に造り変えられるのです。

 

  神はこの計画のために、御自分の民を地上に造られました。ユダヤ民族です。神はこの民と契約をし、神のことばを与え、神の国の完成のために仕える民とされました。

 

  人のうちにある思いを聖めて塵の性質を取り除き、永遠に生きる霊のからだと永遠のいのちを与えて、神の子としての新しい創造を完成するために立てられた民族でした。

 

  神は彼らに約束された通りに、彼らのうちに、神のひとり子を遣わされました。神の御子は、人の子イエスとしてイスラエルを歩み、ご自分の民ユダヤ人に、すべてのものの存在の根源である父なる神と、神の御国について、永遠のいのちについて、裁きについてを明らかにされました。

 

  そして、神の子羊イエスは、死に結ばれた肉の思いと罪の、身代わりとなって、滅びゆくからだと神の怒りの贖いのために、十字架で屠られ死なれました。贖いの子羊イエスの血は、人々の罪と汚れを取り除き、帳消しにします。

 

  贖いの子羊イエスの血は神に受け入れられて、神の子羊は、死から甦り、復活のからだのキリストとして天に上り、父なる神の元に帰られました。

 

  贖いの子羊イエスの血を受け、キリストを信じ、罪の呪いと死の滅びから解放された人は、キリストが授ける聖霊のバプテスマを受けて御父が天から遣わされた御霊を受けます。

 

  御霊によって新しく生まれた霊の子は、再びエルサレムに来られるキリスト、滅びゆく世から救い出して下さるメシア、イスラエルの王によって治められます。

 

  イスラエルの王によって治められる平和な世界、キリストのイスラエル王国が千年続いた後、メシアは、神の子らを世から救い出されるのです。

 

  神は裁きの座に着き、世を裁かれます。キリストと御霊によって救い出された神の子らは、神の御国に集められます。それ以外の被造物、世のすべてをこの世の君である悪魔と一緒に、永遠の火の池で焼かれます。

 

  この神の御計画はユダヤ民族に託されました。そして、この神の計画を福音として、世界中の人々に宣べ伝えるように、と命じられました。

 

  ユダヤ人は、救いがユダヤ人から出ると知って、神を礼拝しますが、異邦人は知らないで、自分達が神と思い信じているものに向かって礼拝しています。

 

  異邦人は、神の御計画も、神が天から遣わされた救い主がおられることも知らないで、思い思いの生き方をして滅びに向かっています。

 

  ユダヤ人は、メシアが来られることを信じて待ち望んでいますが、異邦人は、メシアの存在を聞かされてはいません。メシアの存在も神の御計画も知らないので、救いを求めることが出来ません。救われる希望を持たないのです。

 

  それで、偽りの神々により頼んで、慰めと安らぎを求めています。しかし、それは本物では無いので、心が満たされることがありません。

 

  異邦人は、天地万物を造られた全知全能なる主権者、裁き主がおられることを知らなければなりません。

 

  裁き主が、人を世から救い出すために、神の子羊を送り、十字架の贖いと死からの復活により、永遠に生きるためのいのちの道を用意して下さったことを知らなければなりません。

 

  救い主を待ち望んで来なかった異邦人には、救い主が生まれたことよりも、すでに完成しているいのちの道、キリストの十字架の話とそのことを信じる者に約束されている復活の希望を伝えなければなりません。

 

  異邦人が探し求めて来た、生きることの悩みや老いる嘆きと不安、病気への恐れと悲しみと死への恐怖と絶望からの解放は、イエス・キリストが与える永遠のいのちにあるのです。永遠のいのちとは、イエス・キリストと聖霊であり、真理なのです。

 

  聖書もイエス・キリストも、異邦人から遠く離れた存在ではないのです。イエス・キリストの父なる神は、異邦人にとっても神です。神はおひとりですから、ユダヤ人にとっても、異邦人にとっても、神なのです。

 

  しかし、異邦人には、真の神、創造主であり、裁き主である神が知らされてはいません。この永遠に生きておられる全能者が、天から救い主を遣わされたことを知って欲しいです。

 

  そして、この救い主は、罪の呪いと滅びの世から救い出し、天に引き上げて下さる救世主であることを知って欲しいと思います。