人には、それぞれ、神から与えられた働きがあります。自分に分け与えられた働きに忠実であることが求められます。あれこれ多くをすることはありません。神が定められた働きに忠実であればよいのです。
天の御国は、しもべ達を呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラント儲けた。同様に、二タラント預かった者は、さらに二タラント儲けた。ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
さて、よほど経ってから、しもべ達の主人が帰って来て、彼らと清算をした。
すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。「ご主人様。私に五タラント預けて下さいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラント儲けました。」
その主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」
二タラントの者も来て言った。「ご主人様。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラント儲けました。
その主人は彼に言った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」
ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。「ご主人様。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私は恐くなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。」
ところが、主人は彼に答えて言った。「悪い怠け者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けて置くべきだった。そうすれば私は帰って来た時に、利息がついて返してもらえたのだ。
だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。」
私は、献身者の働きを辞めて母教会を出た後で、主から見捨てられたような気持ちとともに、主のために何かしなければ、主に役立つ者でありたいと焦っていました。
そんな折、一人の迷える姉妹と出会いました。クリスチャンなのに、神の事を良く知りません。毎週教会礼拝に行っているのに、霊的な成長が見られませんでした。
聖霊のバプテスマの事を教え、神の子として御霊によって新しく生まれるようにと祈り教えました。聖霊のバプテスマを受けたら、それで満足しています。姉妹には、キリストへの飢え渇きがありませんでした。
だんだん空しくなって来ました。ある時、この姉妹のことを祈っていると、聖書のことばを頂きました。
「ある人が、葡萄園にイチジクの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。そこで、葡萄園の番人に言った。
『見なさい。三年もの間、やって来ては、このイチジクの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地を塞いでいるのですか。』
番人は答えて言った。『ご主人。どうか、今年一年そのままにしてやってください。木の周りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでも駄目なら、切り倒してください。』」
このみことばを姉妹に伝えました。すると、姉妹が本気モードになったので、私もつきあうことにしました。
私は主の働きもなく、何もすることが無かったので、姉妹が切り倒されない信仰者になるように、祈り教え応援しました。
頭の良い姉妹は知識は豊富なのに、霊が伴いません。しかし、本人が求め始め、知識よりも神の働きの方に関心を持ち、霊的なことに目覚めて来ました。
一年も経つと、だいぶ分かって来ました。分かって来ると、もっともっと霊的な学びと体験がしたい、と願うように変えられたのです。
ひとり立ちして、手が離れると、私自身が取り残されたように感じました。ある時、祈っていると、ひとつの幻が見えました。
畑に多くの穂が実り、豊かな収穫がありました。あの姉妹の畑です。(良かった)と思いました。ところが、私の畑は、雑草が生え、穂の実りはありません。収穫はゼロです。
私は一年間、姉妹の畑を一生懸命に耕し、肥やしを与え手入れして、豊かな実りを得ましたが、その間、自分の畑を放っておいたので、私の畑は荒れていました。
実は、神がもう終わりにしなさい、と度々声をかけて下さっていたのですが、どんどん変わって行く姉妹の成長に、自分が主のために働いているという手ごたえを感じて、止められないで、最後の収穫まで味わうことを選んでしまったのです。
しかし、姉妹の畑の収穫は姉妹自身のものではなく、他人の私が神に従わないで育てたものでした。姉妹の畑の収穫ですから、私の物とはなりません。
また、姉妹の畑の収穫ですが、他人の私が労したので、姉妹が神に褒められることはありません。結局、姉妹自身の働きを私が奪ってやってしまった、という結果になりました。
そして、この一年間、私は自分の畑を放っておいて、私自身の神の働きを怠けていたのだ、ということに気づきました。
痛い学びでした。
神の国では、自分に割り当てられた働きに忠実であることが求められます。神の国のために働いていると自分で思っていても、それは自己満足であって、神に割り当てられた分に忠実でないのは、働いていないことになってしまうのです。
悪い怠け者のしもべ、と神に叱責されてしまいます。
神からもらったタラント(賜物)を用いなければなりません。主人から預かった一タラントを隠したしもべは、「役に立たぬしもべは、外の暗闇に追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです」といわれています。
神から与えられた賜物が何かを知ることも、自分が何をなすべきかを知ることも大切なことです。自分の割り当て分に忠実であることは、神の国の働きのピースを担うことになるのです。