ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

地上に生まれた目的

 

  人は何故生まれたのか?

  私はどうして生まれたのか?

 

  神から離れた人は、生きる目的を見失ってしまいました。肉体は生きているのに、霊は死んでおり、魂は虚ろです。

 

  霊が死んでいるって、いつ死んだの?私、生きているんだけど...。

 

  地上に生まれた魂は、アダムの中で生きていたのです。神が造られた人、最初のアダムの中にいたのです。

 

  アブラムは自分の親類の者が虜になったことを聞き、彼の家で生まれたしもべども三百十八人を召集して、ダンまで追跡した。アブラムと奴隷達は、親類の者ロトとその財産や人々を取り戻した。

 

  その時、サレムの王メルキゼデクはパンと葡萄酒を持って来た。いと高き神の祭司であるメルキゼデクは、アブラムを祝福して言った。

 

  「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡された、いと高き神に、誉れあれ。」

 

  アブラムは一番良い戦利品の十分の一をメルキゼデクに与えた。

 

  メルキゼデクは義の王であり、平和の王です。父も母も系図もなく、その生涯の初めも終わりもない、いつまでも祭司として留まる神に似た者でした。

 

  神と契約を持つ族長のアブラハムが、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。イスラエルの子レビは、アブラハムの腰の中にいて、アブラハムを通して十分の一を納めたのです。

 

  レビの子らの中で祭司職を受ける者達は、自分もアブラハムの子孫でありながら、彼らの兄弟であるイスラエルの民から、十分の一を徴収するようにと、神の律法の中で命じられています。

 

  全能の神と契約を結ぶイスラエルの祭司、イスラエルの民から十分の一を徴収する祭司レビが、メルキゼデクに一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。

 

  レビ族の系図に無いメルキゼデクが、アブラハムから十分の一を取って、神と契約を結び神の約束を受けたアブラハムを祝福したのです。

 

  神の祭司レビは、アブラハムを通して、永遠に生きるメルキゼデク、いと高き神の祭司に十分の一を与えました。

 

  まだ、イサクがアブラハムから生まれる前に、ヤコブがイサクから生まれる前に、ヤコブからレビが生まれる前に、レビはアブラハムの腰の中にいた、というのです。

 

  ですから、人は皆、アダムの腰の中にいて、アダムが善悪の木の実を食べた時に、ともに善悪の木の実を食べたのです。その時、霊は死んだのです。

 

  善悪の木の実を食べた記憶はありませんが、人は生まれながら、原罪(意識が神から外れ、自分が生きていると思い、神と等しくなる事を願う悪魔の思い)を持って生まれて来ました。

 

  人は、生かされていることに気づき、生かす方がおられること、その方は、人を造られた創造主であることを悟るために、生まれました。

 

  創造主を神としないで自分が世の主人となって、好き勝手に被造物を破壊する、死の呪いの中にいる罪人であることを認めるために、生まれました。

 

  人の罪の贖いのために、創造主が神の子羊イエスを遣わされ、神との和解の道が設けられたことを知るために、生まれました。

 

  善悪の木の実を食べて受け取った死の呪いは、神のひとり子イエス・キリストが十字架で死に、血を流して償ったので、帳消しにされたことを受け取るために、生まれました。

 

  最初の人アダムの腰の中にいて罪を犯した人は、神が創造された第二のアダム、永遠に生きるキリスト・イエスのうちにあって、ともに十字架につけられ、罪に死んだのです。

 

  イエス・キリストによって、罪赦され、御霊によって霊の子として新しく生まれる者となるために、人は生まれました。

 

  創造主が造られた本来の姿になるために、人は生まれました。

  エデンの園で神と交わり、神との調和のあった姿に回復するために、人は生まれました。

  地上での苦難、悲しみ、痛み、嘆きを通して、神に立ち返るために、人は生まれました。

  人は、限られた人生の中で、神を呼び求め、神の愛を知るために、この地上に生まれました。

 

  人が生まれた目的は、神の愛を知るためです。罪を赦され、永遠のいのちと復活のからだを受け、神の御国に入るために生まれました。

 

  神の愛を多く知った者が、心豊かな人生を得るのです。多く赦された者は、多く愛します。

 

  人のはかりと神のはかりは違うようです。

 

  「多くの罪が赦された者は、よけい愛します。しかし、少ししか赦されていない者は、少ししか愛しません。」

 

  罪深いと言われている人の方が、神の愛がわかるようです。そして、神を多く愛する者になるのです。

 

  地上に生まれた目的は、回復のためです。神と被造物の関係が回復するため、神の愛の中に回復するために、生まれたのです。

 

  人は、神が遣わされた神の子羊イエスの贖いの血によって罪が赦されて、善悪の木の実を食べた死の呪いから解き放たれ、いのちの木の実を食べる者となるために、生まれたのです。

 

  人は、人を造られた神、創造主と一つになるために、地上に生まれたのです。

  人は、真(まこと)の父、イエス・キリストの父のもと、父なる神のもとに帰るために、地上に生まれたのです。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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