「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。
その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらのことから逃れ、人の子の前に立つことが出来るように、いつも油断せずに祈っていなさい。」
イエスの語られたことばは、何一つ地に落ちることはありません。すべてが成就するのです。
この時、滅びることが無い、と語られたイエスのことばは、終わりの時代に起こることについてです。
ユダヤの民衆がイエスに、終わりの前兆について質問しました。
イエスはいわれた。「惑わされないように気を付けなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『私が世を救う救世主だ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人々のあとについて行ってはなりません。
戦争や暴動のことを聞いても、怖がってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大地震があり、方々に疫病や飢饉が起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現れます。
しかし、これらすべての事の前に、あなたがたは、迫害されます。わたしの名のために、皆の者に憎まれます。しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることが出来ます。
しかし、エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その時には、滅亡が近づいたことを悟りなさい。その時、ユダヤにいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる者達は、都に入ってはいけません。
人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。
そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。
そのとき、人々は、人の子(イエス・キリスト)が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。
これらのことが起こり始めたなら、からだを真っすぐにし、頭を上にあげなさい。贖いが近づいたのです。」
「これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。まことに、あなたがたに告げます。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。」
これらの恐ろしい状況を通り抜けた先に、神の国があるようです。神の国とは、永遠に生きる復活のからだのイエス・キリストがイスラエルの王となって、世界を治める平和な時代のことです。
悪魔と悪霊どもが取り除かれ、戦争や争いの無いすべてのものが平和な状態となる世界です。闇は姿を消し、光溢れる希望と安らぎの世界です。飢えることも渇くこともありません。
キリストの王国は、地上に実現するのです。もはや、涙も悲しみも嘆きもありません。迫害と虐殺に怯え苦しんだユダヤ民族とキリスト・イエスを主とする、主イエスの民は、慰めを受け、キリストとともに王となって、世界を治めます。
地上の楽園、エデンの園の回復とも言われています。
しかし、この世界が実現するためには、この世の君である悪魔を縛り、悪霊どもを滅ぼさなければなりません。
悪魔も悪霊どもも、自分達の終わりを知って、かつてなかったほど、必死に抵抗します。地球を滅ぼすほどの勢いで、激しく動きます。キリストが地上に来られる場所(エルサレム)を占拠し、光の子らを滅ぼし、光(信仰)を地上から取り除いて、キリストの足場を取り壊し、地上に立てないように働きます。
神の民ユダヤ人が、悪魔の捕虜となります。しかし、イエスはいわれます。
「あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることが出来ます。からだを真っすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」
イエスは忠告します。「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、また、やがて起ころうとしているこれらすべてのことから逃れ、人の子の前に立つことが出来るように、いつも油断せずに祈っていなさい。」
まだかまだかと待っているうちに、待ちくたびれていつの間にか信仰から離れ、放蕩しがちです。そして、他の救いに心惹かれてしまうかも知れません。再臨の望みがなかなか適わずに現実生活に落胆すると、現実逃避で酒におぼれる人も現れるかも知れません。また、家族の問題や人間関係等、生活の心配で、心が乱れて、問題意識で心を塞いでいるかも知れません。
自分で”とき”を定め、それまでにキリストが来てくれなければ、あてが外れてにっちもさっちも行かなくなり、心騒がせてしまいます。自分勝手なタイムリミットに、自暴自棄となり、その人の信仰は崩壊するかも知れません。
まだまだだ、と安心しきっている時に、ふいにその日が来るかも知れません。その場合、キリストを迎える用意が出来ていません。
どんな状態でその日を迎えるにしても、必ず、その日は来ると言うのです。必ず、訪れるその日のために、キリストの御前に呼ばれ、キリスト王国の民となるために、今から、いつも油断せずに祈っていなさい、とイエスは忠告しておられます。
キリストの国民となって、地上の神の国に入る者は、いのちの木の実を食べる者、天上の神の御国で永遠に生きる者だからです。
人は、いつキリストが来られるのか、知る事が出来ません。しかし、祈って、その日に備えることは出来ます。祈り備えるならば、神が守り、全地の人々に臨む災いから救い出してくださいます。
著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)
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