ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖霊に満たされる

 

  聖霊は、天地万物が造られる前から永遠におられる神です。父なる神、御子なる神とともに、宇宙が生まれる前からおられる三位一体の神の一位格です。

 

  日本神道では、神を柱と数えるそうですが、聖書では、位格としてとらえます。神は三位格しかありません。三位格のほかに、神と呼ばれるものは存在しません。

 

  父なる神がおられ、神のことばである御子なる神がおられ、神の息であり働きである聖霊がおられます。この三位格は三つにして一つの神、父なる神と一つ心をもつ調和のとれた神なのです。

 

  御父の心が御子の心であり、御父の願いが聖霊の願いであり、御子の喜びが聖霊の喜びなのです。

 

  神の息が吹き込まれて生きる者となり、神の息が取り去られて肉体は朽ちるので、すべての人は、神の霊によって生かされているのです。

 

  しかし、神のことばを退け、蛇が語る悪魔の言葉に従ったアダムとエバの息は悪魔の思いを受けて死んだ者となりました。

 

  息は神のものであり、神の息によって生きているのに、悪魔は汚れた混ぜ物を人の思いに入れました。それで、神の息を汚れた不純物で、息を腐ってしまう悪いものにしてしました。

 

  神の霊で生きているはずなのに、聖霊である神はそこには留まられません。

 

  神が一人一人の命の管理をしておられるのに、聖い霊の者は誰ひとりいません。生まれるのも、死ぬのも、神の許し無しでは起こり得ません。

 

  ある未開国のお話です。赤ん坊が欲しいと願っているのに、不妊の悩みを抱えている女性に、子どもを宿らせることで有名な占い師か魔術師がいました。

 

  その人が、キリストの福音を聞いてキリストを信じ、キリストの弟子になりました。その人がキリストによって魂の救いを受けた後で証したとされることに、驚きました。

 

  その人には、霊視の能力がありました。本人が自分が妊娠していると気づいていない受精数日後の状態を見ることが出来ました。悪霊の力です。

 

  母胎である本人も気づいていない受精卵、あるいは胎児を、赤ん坊が欲しいと願う不妊の女の胎に、悪霊の力で移し入れることをしていた、と言うのです。

 

  その人が言うには、悪霊には創造する力が無いそうです。神が造ったものを盗むことは出来ると言うのです。

 

  同じ霊でも、聖霊は創造する神の霊であり、悪霊は破壊とかすめ奪う悪魔の霊です。霊の力と言っても、聖霊による神の力と、悪霊による悪魔の力があります。

 

  霊がふさがれ鈍くなっている人は、霊を感じたり捉えたりすることが出来ないか、あるいは、霊を恐れるか、はたまた霊を信じてしまいます。

 

  しかし、人を生かし、幸いにする霊、永遠のいのちを与える霊は、永遠に生きる神である聖霊だけなのです。

 

  キリストが贖いの子羊として、十字架で血を流し、悪魔の呪いと死から人々の魂を救い出されました。御子が救いのみわざを成し遂げた後で、父なる神は御子を天に帰され、御子を信じ受け入れた者達に、聖霊を注がれました。

 

  神の霊である聖霊は、御子に繋がっている者のうちに御霊を与え、御霊はその人のうちに住み、肉の思いに死んで神の霊の思いで生きる新しい人に造り変えられるのです。

 

  キリストを信じるひとりひとりに分け与えられた御霊は、父なる神の元に帰る永遠に生きる神の子とするために、キリストのことばを思い起こさせ、教え、内面から新しい人、悪魔の混ぜ物に汚されていない聖い霊を創造されるのです。

 

  キリストを信じた者は、父なる神がキリストの御名によって地上に遣わされた聖霊を、心にお迎えしなければなりません。

 

  様々な霊がこの地上で熱心に働いています。癒しを行ったり、道を教えたり、人々に良いものを提供しているかのようですが、それは地上だけのことであって、天上の神の御元に帰らせてはくれません。

 

  永遠のいのちを与えてはくれません。悪魔には、永遠のいのちを創造することは出来ません。悪魔は霊を汚すものであって、聖い神から引き離すものです。

 

  キリストを信じた者に、父なる神は聖霊を与えてくださいます。

 

  十字架にかかったイエスを主と信じて受け入れなければ、罪の赦しがその人のうちに成就しないのと同じように、神が遣わされた聖霊を「私のところに来て、私のうちにお住まいください。私をキリストの御霊で満たしてください」と心から願い、聖霊を歓迎しなければなりません。

 

  聖霊は礼儀正しく、繊細でへりくだった紳士です。キリストを信じた者のうちに、ずかずかと入って来て、居座る厚かましいお方ではありません。

 

  「いらしてください」とお招きしなければなりません。聖なる御霊をお迎えするのに、人は聖くなる覚悟をし、自分でも心のうちの大掃除をすることでしょう。

 

  御霊は、喜んでその人のうちに住み、御霊ご自身が、聖なる光で照らし、悔い改める心と聖めを望む心を与えてくださいます。

 

  御霊を迎えると、自分で努力しなくても、神の道へと導き、神に従う者に造り変えていってくださいます。聖めは、御霊の働きなのです。

 

  人がすることは、「御霊様、歓迎します。私のうちにお住まい下さい」と祈り、聖霊に満たされることを、「イエス様」とキリストの御名で神に求めることです。

 

  自分自身の心で決めるのです。人の心を知る霊なる神は、その願いに答えてくださいます。

 

  聖霊に満たされると、この世のものではない、誰も奪うことの出来ない喜びと感謝な思いで満ちるでしょう。それは、魂の救いを得たからです。

 

  聖霊に満たされ、キリストの父なる神のもとに向かって、御霊とともに歩んで参りましょう。