ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

人の子の結婚

 

  以前、イスラエルではメシアを生むために皆が結婚して、子どもを産むことが一般的であった、と聞いた事があります。人から聞いたことなので、本当のことなのかどうかはわかりません。

 

  1900年近く、国を失い、離散していたユダヤ人が1948年に、先祖の地にイスラエル国家を建国しました。それで、世界に離散していたユダヤ人が世界各国から帰還しています。

 

  聖書の中では、男系のユダヤ人の家系が記録されています。父親がユダヤ人の者がユダヤ人に数えられます。しかし、現在イスラエルに帰還するユダヤ人は、母親がユダヤ人である者をユダヤ人と認めて、イスラエル国家は彼らを帰還者リストに入れます。父親がユダヤ人であっても母親が異邦人の場合は、ユダヤ人として認められない、ということを聞きます。

 

  確かに、母親がユダヤ人の方が、ユダヤ人としての教育の体験がしやすいでしょう。よりユダヤ人らしい人になりやすいかも知れません。日常生活の多くの時間は母親といることが多いですし、母親の影響が大きいと思います。

 

  男系で続いて来たユダヤ人が、女系になってしまいました。

 

  世界的視野で見たとき、今の時代の有様なのかも知れません。女から生まれた者がすべて夫の子どもとは限らないという、乱れた時代です。

 

  日本の皇族も男系です。今や天皇の后は平民から皇室に入った方です。あってはならないことですが、その后がもし天皇ではない平民の男の子どもを産んだとしたら、男系と言うことで、天皇家の血を引かない人を皇族の一員とすることになります。

 

  古代ユダヤの大祭司は、アロンの家系と決まっていました。もし、アロンの血を引かないレビ人が大祭司の任務を果たしたら、神の呪いを受けたことでしょう。ただちに死にます。そして、民族全体が神の呪いを受けるのです。

 

  ですから、ユダヤ人の母親から生まれた子どもをユダヤ人と認める、というのは一理あるのかも知れません。

 

  

  イエスは弟子達に言いました。「誰でも、不貞の罪のためではなくて、その妻を離別し、別の女を妻にする者は姦淫を犯すのです。」

 

  それを聞いた弟子達はイエスに言った。「もし妻に対する夫の立場がそんなものなら、結婚しない方がましです。」

 

  イエスは言われた。

  「その言葉は、誰でも受け入れることが出来るわけではありません。ただ、それが許されている者だけができるのです。というのは、母の胎から、そのように生まれついた独身者がいます。また、人から独身者にさせられた者もいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった者もいるからです。それが出来る者はそれを受け入れなさい。」

 

  生まれついた独身者は、結婚したいと思うことが無いようです。人から独身者にされるとは、結婚を反対されて結婚の機会を失ったり、神が決めていた人が他の人と結婚したり、事故などで死んでしまった場合等があると思います。また、自分の人生を神に献げ、神に仕えるために自ら独身者でいる人もいます。

 

  クリスチャンになった頃、教会の青年会の姉妹が、結婚のために祈っていた方がいいよ、と勧めてくれました。その時は結婚願望は無かったですが、結婚のために祈ろうとすると、相手の男性が交通事故で死んでしまうような恐怖が来て、「どうか、私と出会うまで、生かしておいてください。死なないように守ってください」と祈りを積んだ記憶があります。

 

  イエスは、結婚を強要する方ではないようです。独身者でいられる者は、それを受け入れなさい、と言っておられます。

 

  何故なら、アダムとエバの時代は終わるからです。夫と妻の間で結婚を体験し、愛することと仕えることを学び、互いの関係の中での学びから真理を知り、神に仕える歩みをする時代から、天から来られた人の子と結婚し、イエスの中に入る、新しいいのちの道を歩む時代が開かれたからです。

 

  男と女に分かれ、アダムとエバが、夫と妻として一体になる時代から、最初に造られた、神のことばと一体の人の子を回復する時代であるからです。

 

  パウロも言います。

  「現在の危急のときには、男はそのままの状態に留まるのが良いと思います。あなたが妻に結ばれているなら、解かれたいと考えてはいけません。妻に結ばれていないのなら、妻を得たいと思ってはいけません。

 

  しかし、たといあなたが結婚したからといって、罪を犯すのではありません。ただ、それらの人々は、その身に苦難を招くでしょう。私はあなたがたを、そのような目に会わせたくないのです。

 

  兄弟達よ。私は次のことを言いたいのです。時は縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。

 

  あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。しかし、結婚した男は、どうしたら妻に喜ばれるかと世のことに心を配り、心が分かれるのです。

 

  独身の女や処女は、身も魂も聖くなるため、主のことに心を配りますが、結婚した女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、世のことに心を配ります。

 

  私(パウロ)がこう言っているのは、あなたがた自身の益のためであって、あなたがたを束縛しようとしているのではありません。むしろあなたがたが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できるためです。」

 

  主とひとつとなることが、神の願いです。イエスが世に現れたので、結婚による学びを、主から直接得られる時代となっているのです。

 

  神はアダムとエバの完成ではなく、人の子の完成を計画しておられます。神のことば(御子イエス)のうちに入り、御霊とともに歩む人生を受けることを願っておられます。

  夫も妻も、主を第一として、主に仕える人の子になることが望まれます。人の子はイエスの愛によって御霊の信仰を受け、キリストとひとつ心となるのです。

 

  それは、キリストとの結婚のようです。キリストが夫となって、人の子を愛し、御霊が創造し新しく生まれた人の子は、キリストに従うのです。