ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストは宗教ではありません

 

  キリスト教というと、仏教、ヒンズー教のように、宗教の一つと考えてしまいます。

 

  もともと、キリスト教はユダヤ教の一派だったのです。その頃、ユダヤ教という概念はありませんでした。

 

  ユダヤ民族は、創造主がご自身のために造られた、生けるまことの神に仕える民族であり、全地における神の祭司の国民だったのです。

 

  他の国々では、様々な偶像の神が造られ、それを神として崇めていました。ユダヤ民族が仕える神は、偶像を嫌い、禁止していました。

 

  聖所に置かれていたのは、神が神との契約の民として与えた証の契約の箱でした。

 

  ユダヤ民族には、全能の神がおられるだけでした。天地万物を造られた全知全能の霊にして聖なる神は、御自身をイスラエルの神と名乗られました。イスラエルは、創造主に仕える民だったのです。それで、神が与えた律法を守りました。

 

  ところが、ナザレ人イエスが現れ、神のことを教えました。イエスはユダヤ人であり、割礼の印がある律法を守る者でした。

 

  イエスは、ダビデ王の子孫として生まれました。ユダ族です。神の祭司の務めを与えられたレビ族から出た者ではありませんでした。イエスは、癒しや奇跡を行いました。神の力でなければ出来ない死人を生き返らせることもしました。

 

  イエスは、アブラハムの神を教えました。アブラハムの神を、父と呼びました。ユダヤ人が信じている神は、イエスの父であることを告げました。ご自分がこのアブラハムの神、ユダヤ人が信じるイスラエルの神から遣わされた者であることを伝えました。

 

  イエスは、父について、神の国について、永遠のいのちについて教えました。ユダヤ人にとって新しい教えでした。民衆は、このイエスが、先祖に約束されていたキリストではないかと考え、喜んでイエスの教えに耳を傾けました。

 

  祭司とレビ人は、神を父と呼ぶイエスを憎みました。イエスに従う者は、ユダヤ会堂から締め出す、としました。ユダヤ人は、会堂から追放されることを恐れました。神を父と呼ぶことは、神への冒瀆だとして、イエスを十字架につけるように、民衆を扇動し、イエスを十字架につけ、処刑することに成功しました。

 

  しかし、キリストは、墓から甦りました。復活のからだで現れたイエスを見て、弟子達は、イエスがキリスト(救世主)であるという確信を持ちました。

 

  イエス・キリストは、聖霊のバプテスマを授けるお方です。昇天したキリストが約束された通り、祈り待ち望む弟子達の上に聖霊が下り、彼らは御霊を受けたのです。

 

  御霊は、彼らに力を与え、彼らは大胆に復活のキリストを伝え、ナザレ人イエスが、先祖の約束されたキリストであることを宣教し、ユダヤ人は悔い改め信仰に入りました。彼らと彼らの教えは、ナザレ派とよばれました。彼らも、割礼を受け、律法を守るユダヤ人でした。

 

  しかし、異邦人も信じて異邦人信者が増えると、割礼や律法は軽視されていきます。ユダヤ人信者と異邦人信者の間に分裂が生じ、ユダヤ人信者は出て行きました。

 

  もはや、ユダヤ人の信じる神のナザレ派では無くなりました。異邦人信者は、自らをキリストを信仰するキリスト教と位置づけました。それで、キリスト教を区別するために、イエス・キリストを生み出したユダヤ人の信仰を、ユダヤ教としたのです。

 

  神殿が崩壊され、全地に離散したユダヤ人は、律法を守る民として生き残りました。

 

  キリスト教は、母胎であるユダヤ民族を離れて、宗教化しました。宗教とは、人間の思いによって神を敬う行為です。神が霊であることがわからずに、イエスというひとりの人の範囲の中で、キリストを捉えます。また、神と人との契約によって遣わされた神の子羊であることが不明瞭です。キリストは、アブラハムと結ばれた契約の成就なのです。イスラエルの王なのです。

 

  キリストは、天から来られた神のひとり子です。神から出た方です。女から生まれましたが、肉によって生まれた人間ではありません。聖霊によって、処女から生まれた神の御子なのです。

 

  天地万物を造られた創造主です。宇宙が作られる前から、存在しておられる神です。イスラエルの神でありながら、すべての被造物の神でもあるお方です。

 

  人間が作る宗教の神のように、人間が運ばなければならない偶像ではありません。全地に満ちる霊なる神なのです。宇宙もこの方を入れることが出来ないほど、大きなお方です。

 

  人間が作る神とは違い、人を造られた神であり、人を永遠に生きるものとすることのできる唯一の神であり、人類を裁く裁き主であり、神の御国の絶対的主権者です。永遠に生きる神であり、いのちの神なのです。

 

  神は、神の子羊イエスの贖いの血によって、罪を赦し、人を聖め、復活のいのちを与えるお方です。キリストを信じる信仰が守られ、神のもとに無事に帰ることができるように、道案内人の御霊を信者ひとりひとりのうちに遣わしておられるお方です。

 

  クリスチャンは、キリスト教だと認識していますが、実は、宗教ではありません。すべての宗教の上に立ち、すべての宗教のうちにいる人々にも救いの手を伸べておられる、唯一の全能者なのです。何故ならば、人類はすべて、この神によって造られているからです。

 

  人間が、キリストを神の子と認めなくても、神と永遠の昔からともにおられる、神のひとり子なのです。人間の不信仰によって、尊厳が失われるお方ではありません。今も、天の軍勢の賛美を受けておられます。

 

  尊厳を失うのは、贖いの神の子羊イエスがキリストであることを疑い、信じない者たちの方です。彼らは、神に似せて造られた尊厳ある自分の霊を滅ぼす者(悪魔)の手に渡してしまうのです。

 

  クリスチャンも、宗教の枠を超えて、アブラハムと契約された、偉大なる全知全能者である神を礼拝する者になりましょう。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

    アマゾンkindle、紙書籍(オンデマンド印刷)、楽天kobo