ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

主は一つ 信仰は一つ バプテスマは一つ

 

  すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

 

  父なる神が、天と地と万物を造られた創造主です。すべての被造物の上にあり、初めから終わりまで、一貫して、宇宙全体を治める絶対的主権者です。悪魔もこのお方の主権には適いません。しかも、すべてのもののうちにあって働き、生かしておられるいのちの神です。すべてのものは、この主によって、存在しているのです。

 

  神は、この唯一の神以外は存在しません。この世には、多くの神や多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、父なる神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、すべてのものは父なる神のために存在しているのです。

 

  また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私達、人もこの主によって存在するのです。

 

  しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。

 

 

  神のひとり子が父なる神である主に遣わされて、神の子羊として地に来られたこと。神の子羊イエスが、地に住む人々に、父なる神主を知らされたこと。神について、神の御国について解き明かされたこと。そして、人の罪の贖いのために、生贄の子羊として十字架で死なれたこと。そして、永遠のいのちを与えるために、墓から甦り復活されたこと。

 

  これらの出来事は、「光が、闇の中から輝き出よ」と言われた神が人々の心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださるためなのです。キリストを信じる者は、イエスの死をその身に帯び、イエスのいのちがその身において明らかに示されるのです。

 

  「私は信じた。それゆえに語った」とあるように、同じ信仰の霊を持っている者は、信じているゆえに語るのです。それは、主イエスを甦らせた方が、自分達をもイエスとともに甦らせ、福音を聞く者と一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。

 

  イエス・キリストを信じる信仰によって、人は神に近づくのです。父なる神のみもとに帰る信仰は、ただ一つ。イエスを神が遣わされた神の子羊キリストであることを信じる信仰によってだけです。

 

  イエスを主キリストと告白する信仰は、その者に、永遠のいのちを与えます。そして、イエスを死から甦らせた御霊による信仰は、その者に、復活のからだを与えます。信仰は、父なる神が与えた信仰であり、永遠に生きる神の信仰です。

 

  この信仰は、神の子羊イエスのうちにあった信仰です。イエスを信じる者は、主イエスの信仰と同じ信仰を持つのです。信仰は、イエス・キリストの御名のうちにあって、一つのものです。

 

  しかし、滅びる人々の場合、福音に覆いが掛かっています。その場合、この世の神(悪魔と悪霊ども)が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。

 

 

  天から遣わされたキリスト(救世主)は、聖霊のバプテスマを授けるお方です。神の霊である御霊を、人々に分け与える権威を持つお方です。

 

  御霊は、知恵を与えます。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者達の知恵でもありません。隠された神の奥義としての知恵であって、それは、神が、信じる人々の栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

 

  この知恵を、この世の支配者である祭司達は、誰一人として悟りませんでした。何故ならば、神が与えたものは、目が見た事の無いもの、耳が聞いた事の無いもの、人の心に思い浮かんだことの無いものだったからです。

 

  神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうです。御霊によって、神は啓示されるのです。主イエスの信仰を持つ者は、この世の霊を受けたのではありません。神の御霊を受けたのです。

 

  生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。彼らには、それを悟ることが出来ません。何故なら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。

 

  主イエスの信仰を持つ者は、主が与える聖霊のバプテスマを受けて、一つ御霊を飲む者となるのです。何故なら、キリストを信じる者は皆、ユダヤ人も異邦人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、すべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。

 

  ユダヤ人は、割礼を持つ人々です。異邦人は無割礼の人々です。ユダヤ人は、神の約束の契約を持つ民です。異邦人は、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない民でした。

 

  しかし、神は、キリストの血によって、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊されました。十字架で裂かれたご自分の肉において、敵意を廃棄されました。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためです。

 

  敵意は十字架によって葬り去られました。両者を一つのからだとして、十字架によって、神と和解させるためなのです。キリストを信じる者は、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父なる神のみもとに近づくことが出来るのです。

 

  このキリストにあって、同じ国民であり、神の家族なのです。キリストにあってすべての信者はともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

  永遠に残るものは、父なる神と、父なる神に従順な子羊イエスの信仰と、聖霊によって新しく創造されるものです。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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