ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

東京に移住

 

  教会の働きを終え、実家のある岐阜に帰りました。教会の奉仕者として迎え入れられるはずでした。

 

  送り出す教会のメンバーがアパートに住むようにと、献金を下さいました。引っ越し代金も下さいました。しかし、教会の狭い母子室に住むように計画していた受け入れ教会は、教会に従わないという理由で伝道師という立場を取り消しました。献金は全額教会に献げるようにと命じられました。しかし、私はそうしませんでした。私が信者から騙し取ったという汚名も着せられました。

 

  神は教会を出た私に、多くの幻を見せ、新しい交流も与えてくださいました。宣教師のもとに居た時、あなたと同じような信仰の群れに導く、といっておられました。

 

  古いクリスチャンの友人が誘ってくれました。その群れでは、幻を見、互いに分かち合い、神の愛を体験していました。

 

  また、別の友人が東京の教会に誘ってくれました。すべてのことを神に祈って神のことばに聞き従うということを徹底していました。私はそこで祈りを学びました。

 

  神との応答形式の祈りです。思案している案件を神に差し出し、どうしたらいいかを、神の答えが来るまで祈り待ち望み、神のことばを受けたら、それに従うというものでした。

 

  ですから、そこの教会では年次総会はありません。牧師等中心的人物がともに祈って一つ一つ神に聞き、神に確認し、神に聞き従う、これが一年通しての歩みでした。預言の賜物を奨励していました。日本にこんな教会があるのか、と驚きました。

 

  預言が次々に成就していくのを体験し、喜びに満ちていました。そこに集まる人々は、イエスとともに居た弟子達のようでした。イエスに心を向け、イエスのされる一つ一つに驚き、感動して喜びに満ちていました。

 

  月に一回東京に行くようになりました。その頃、ある集会で知ったヴィンヤード教会セミナーを含むアメリカツアーに参加しました。

 

  ヴィンヤードの預言者のセミナーがツアー参加者のために持たれ、最後に、神の導きのまま、神が示されることを個人に預言されました。私には、「Move」と言って、手をあちらこちらに動かされました。預言者は、怪訝そうに私を見ていました。しかし、私にはわかりました。かつて神は、あなたをいろいろな教会に連れて行くといっておられたからです。

 

  アメリカツアーから帰った私の前に、まったく新しい扉が開かれたかのようでした。ともに神の恵みを体験したツアー参加者との交流が始まりました。

 

  そして、私のうちに神の癒しが起こるとともに、母教会の中でも神が働かれ、赦しと和解が与えられました。解放されました。母教会は、神に祝福されています。

 

  東京に行くんだ、という思いはどこかにありました。東京には通う教会もあります。しかし、両親は東京行きを猛反対していました。お金もありません。神は、お金に関して、Ⅱ列王記7:1「明日の今頃、サマリヤの門で、上等の小麦粉1セアが1シェケルで、大麦2セアが1シェケルで売られるようになる」を約束しておられました。大飢饉のイスラエルで起こったことです。今日はお金が無いが、明日になると無かったことが嘘のように満たされる、と受け取って、私は信じて神にすがりました。

 

  マンション建築のためにアパートが取り壊されることになりました。それを機に、実家に住まうことになりました。一緒に住むことで家族内に支障が出ます。家長の父は頭を悩ませていたのかも知れません。

 

  教会を大阪、京都、岐阜、愛知と移転して来た私のゴールは東京にある本部教会でした。かつての恐れは消え、東京の教会へ行きたい、東京に引っ越ししたいと思うようになりました。お金はありません。それなのに、神の力強い御腕に掴まれたような不思議な感覚でした。

 

  ある日、東京にアパートを探しに出掛けました。電話ボックスのタウンページの電話帳を見ると、何ページもの不動産屋の数です。電話ボックスの向かいにあった不動産屋に入りました。最初に入った不動産屋で決まりました。

 

  手付金は持っているけど、はんこが無いことに気づきました。一旦岐阜に取りに帰るか、と思いつつマルイに行きはんこ屋を探しました。出来上がりに数日かかるそうです。ふらふらと百円ショップダイソーに入りました。あるはずもないはんこを探しました。何ということでしょう。あるではないですか。たった数代前の先祖達が、加木屋の当て字としてつくった名字であり、岐阜発祥と言われる名字のはんこが、何故東京のダイソーにあるのでしょう。

 

  引っ越しが神の御心だと確信しました。不動産屋に行って、百円のはんこで契約しました。残るはお金の問題です。心がすわりました。父にお願いするしかないか。。父にお金を借りるか。

 

  しかし、キリストが助けてくださる、と豪語していた私にはプライドがあります。どうしたものかと道中思い悩みつつ、主に祈りました。「主よ。あなたは私の主です。私の神です。お金がありません。助けてください。あなたが東京に導かれるのですから、あなたが面倒をみてください。」

 

  家に帰り、父に東京のアパートが見つかったので、引っ越す旨を告げました。すると、反対する事なく、父は「どれだけ金があるんや、通帳を持って来い」と言いました。見せると、本当に金が無いんやな、と言い、翌日通帳を返してくれました。百万円が入金されていました。

 

  アメリカでの預言、家族があなたの信仰を助ける者となる、という言葉を思い起こしました。また、Ⅱ列王記のみことばの約束の成就に神を讃えました。確かに残高の無かった通帳が翌日には満たされたのです。

 

  東京に引っ越すと、本当にすべてのものが備わっていました。就職も引っ越した当日に決まりました。教会でやっている神学校で学ぶため、時間に縛られないパートです。翌日から出勤しました。そして、毎日教会に通いました。

 

  教会の牧師は、私が東京に来る確信は無かったようです。引っ越しが実現し就職が決まった事で、神の御心であると判断してくださいました。もう一つある小さな教会で牧師に従う訓練が徹底されたあとで、本部教会に移動ということになりました。

 

  実は、初めてこの教会に行った頃は、岡丸牧師がいました。十時間祈り続けられる祈りの人であり、霊的に敏感な霊を見分ける人でした。私は、岡丸牧師の中に、私の霊を保護してくれるあったかいものを感じていました。やっと私の保護者に出会えたと思っていたのに、岡丸牧師はだいぶ前にいなくなりました。

 

  権威と秩序という預言が出始めてから、教会の歩む道が変わっていきました。岡丸牧師の歩む道とは異なりました。遠く離れて岐阜に居た私にも、霊の流れが変わったことが感じられました。

 

  かつては、先生と呼んではならないと言って、牧師をさん付けで呼んでいた事もありました。主任牧師はイエス・キリストであり、皆はイエスを見ていました。しかし、牧師に権威が与えられ牧師に従うことが強要されて、牧師を恐れるようになりました。

 

  しかし、神はここでの訓練を用意しておられました。見分けること無くしては、とても危険な訓練でした。いのちがけの訓練です。毎日祈りました。霊が死なないように必死に祈りました。守りを神に求めました。

 

  とても恐ろしい体験でした。教会は霊の戦いの場でした。小さな教会は、蛇の穴に入るような体験でした。どうしてこんな所に居なければならないのかと思いつつも考える余裕はありません。考えているうちに足がすくわれてしまいます。

 

  いつも、武装しました。神学生は、毎日1~2時間の祈りと、旧約聖書5章、新約聖書5章ずつの聖書通読が義務づけられています。これも守りとなりました。

 

  教会礼拝に参加する日には、必ず出掛ける前に1時間祈り込みました。「主よ。守ってください。変な霊を受けないように、また、霊の攻撃から守ってください。見分ける力をください」力の限り祈って、完全なる武装をして出かけました。