ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

悔い改めによる回復 ニネべの場合

 

  預言者ヨナに神のことばがあった。「立って、あの大きな町ニネべに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」ぐずぐずしないで、あなたがたイスラエルの敵アッシリアの都市ニネべに行って、イスラエルの神のことばを叫べ。彼らの罪が満ち、裁きの時が来たからだ、と言われるのです。

 

  何故、神の敵国のことまで面倒見なければならないのですか。彼らには彼らの神がいます。彼らの神が彼らの面倒を見ればいいのではないですか。私はイスラエルの神に仕える者です。イスラエルの神はイスラエルを心配するべきではないですか。

 

  イスラエルを見て下さい。神のことばを聞こうとはせず、好き勝手に歩んでいます。あなたの民があなたのことばを聞かないのに、あなたの敵国の国民があなたのことばに耳を傾けるでしょうか。無駄です。

 

  敵国を助けるときでしょうか。イスラエルの敵国は滅んでしまえばいいのです。

 

  神にはアッシリアが必要でした。御自分の民イスラエルを懲らしめ、彼らの頑なさを打ち壊すのに、有能な国でした。イスラエルを苦しめ、神を求めさせるために、なくてはならない国でした。その都市ニネべが神に立ち返ることは、敵国アッシリアの中に、イスラエルの神の拠点を造ることになるのです。

 

  神の目的は、イスラエルを神の民として整えることです。神の懲らしめの先には、祝福が用意されているのです。

 

  アブラハムの時代、暴虐に満ちたソドムの町を滅ばす計画を、神はアブラハムに告げられました。ソドムの町には、アブラハムの甥のロトが住んでいます。アブラハムは、ロトのために、思い直して下さる事を神に願いました。ソドムの町に十人の正しい人を見つけたなら、滅ぼさない、と神は約束されました。正しい人とは、神を畏れる人のことでした。

 

  正しい人は見つかりませんでした。アブラハムの神を畏れるロトの家族四人だけが、御使いによってソドムの町から連れ出されて、ソドムの町は天からの火によって滅ぼされました。

 

  その時代には、まだ神の国民イスラエルは生まれていませんでした。神に仕える祭司の国民は、地上に存在していなかったのです。

 

  しかし、ヨナの時代には、イスラエルの神の国民としてユダヤ民族が、全能の神に仕えていました。世界には、全能の神の前に出て、真(まこと)の神、イスラエルの神に仕えるイスラエルの国民がいたのです。彼らは祭司の国民であり、全地を祝福し、世界のために神に執り成す民族です。それが、この民族を造られた神の目的でした。

 

  神の祭司のいる世界では、敵国をも、神が神の国民の祈りによって救われるのです。神のことばを聞いたニネべの人々は、自分達の罪を認め、イスラエルの神の前に悔い改めました。ニネべの人々は神のことばを信じ、断食を呼びかけ、王と大臣達の命令によって、身分の高いものから低い者まで神の赦しを請い、イスラエルの神に悔い改めました。

 

  神のことばを侮る者は誰もいません。すべての者が神を恐れ、訪れようとする神の裁きを恐れ、心を注ぎ出して悔い改めました。

 

  すると、神は彼らに下すといっておられた災いを思い直し、そうされませんでした。

 

  周囲の国々は、イスラエルに神がおられることを知っていました。ユダヤ民族のためにエジプトに下された災い、ユダヤ民族の国が建国されるために働かれた神の御手。彼らは、神がイスラエルとともにおられることを目撃していました。

 

  イスラエルの神が、全地を創造された偉大なる神であることも知っていました。しかし、信じてはいませんでした。我が神として自分達の上に、この神の主権を認めることはしていませんでした。

 

  悪魔もそうです。神はおひとりだと信じて、自分達の裁かれることを恐れ、震えおののいています。しかし、神の主権を認めることを忌み嫌い、神に支配されることを拒み、反逆し、神に敵対します。

 

  敵国のニネべは違いました。彼らの敵であるイスラエルの神を信じ、へりくだり悔い改めたのでした。

 

  すべての人は、神に造られたものです。億人の人が、それは嘘だ、科学的根拠がない、作り話だ、といくら理屈を並べ立てても、この事実は変わりません。神は創造主であり、人は創造主によって造られた被造物です。すべての人はひとりの神によって造られたのです。誰ひとり神によらない人はいません。

 

  すべての人は、同じひとりの神の被造物です。ですから、イスラエルとともおられる神はユダヤ人だけの神ではありません。すべての人にとっての神です。神を信じ、この創造主である神の主権の中に入る人々は、イスラエルの王の民となるのです。

 

  悪魔は神に敵対する者です。嘘を言います。騙す者です。真実を闇に葬ります。真理に混ぜ物をします。神に逆らわせます。信仰を盗む者です。疑う者です。悪魔のうちには愛がないからです。そして、裏切る者です。

 

  悪魔に惑わされる人は、神の敵として歩みます。神を信じません。しかし、ニネべに神のことばを叫ばれた神は、敵国をも救う神です。神に敵対して歩む人々にも、神は救いのことばを語られるのです。

 

  神にとって、人は敵ではありません。神のひとり子とともに喜びを持って御子のために造られた人なのです。人は神に敵対する者として造られたのではありません。神の愛と調和の中で神の義と平和と聖霊による喜びのいのちをして造られたのです。

 

  神は人を滅ぼすことを望んではおられません。悪に満ちたニネべの人々が、神のことばを聞き、神を信じ悔い改めて災いを思い直されたように、悔い改める者を滅びから救い出そうと計画されています。たといそれが異教徒であってもです。神に敵対して、偶像の神々に仕えている人でもです。

 

  人は神の子孫なのです。神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石や木などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。何故なら、神は、お立てになったひとりの人(イエス・キリスト)により義をもってこの世界を裁くため、日を決めておられるからです。

 

  神に敵対していた人々にも神は叫ばれます。悔い改めて、神の裁きを思い直され、災いを免れ、滅びの世から救われるようにと、義なる神が望んでおられるからです。

 

  今は救いの時、恵みの時なのです。悔い改めて、新しいいのちの道を歩んでいきましょう。神の赦しを受け取り、感謝と喜びと賛美、祈りをもって歩んでいきましょう。

 

 

      著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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