ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御霊を取り戻した教会

 

  キリストの昇天後、使徒達を中心に復活した主イエスの福音宣教が広がり、多くのユダヤ人が信仰に入った。異邦人の中にも信仰に入る者が現れた。使徒達は、異邦人信者はキリストを信じる者ではあっても、神の契約の民ではないので、アブラハムの契約の割礼を受けることも、イスラエルの神の契約のモーセの十戒を守ることも強要せずにキリストの民に加えた。

 

  彼らの契約のしるしは、聖霊のバプテスマであった。キリストは、聖霊のバプテスマを授ける方である。聖霊のバプテスマを受けることは、キリストの弟子であることのしるしであり、神と人との新しい契約となった。

 

  キリストは、神と人との唯一の仲介者であって、神に受け入れられるしるしは、キリストの御名によって与えられる御霊である。御霊は、ユダヤ人と異邦人の区別なく、イエスを主キリストであると信じる者に注がれた。御霊は心に割礼を与え、心に律法を書き記し、神の子としての歩みを導かれる。

 

  ナザレ人のイエスの教えに集う群れは、ナザレ派と言ってユダヤ教の一派とみなされていた。しかし、使徒達が皆亡くなった後の第一次ユダヤ戦争(反ローマで結束したユダヤ人の反乱。エルサレム神殿は火を放たれ炎上し、エルサレムは陥落した)の時、聖霊の声に従ったナザレ派は逃げた。しかし、聖霊の声を知らない他のユダヤ教徒は、留まった。それで、ともに戦わなかったナザレ派をユダヤ教から追放した。ユダヤ教から排除されたナザレ派は、キリスト教となった。

 

  異邦人信者が増すにつれ、無割礼の人の意見が力を持つようになった。無割礼の民異邦人は割礼の民ユダヤ人に、割礼やモーセの十戒を廃止することを強要した。それで、割礼の民ユダヤ人はキリスト教会から出て行った。

 

  ユダヤ人を排除したキリスト教会から聖霊は去られた。イエスは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫イスラエルの王となられる神の子羊であった。ヤコブの子イスラエルとの契約のもとに、神に遣わされたメシア(救世主)である。

 

  メシアであるイスラエルの王を再び地上に迎えるのは、契約の民アブラハム、イサク、ヤコブの子孫イスラエルである。復活のキリストは、契約の民イスラエルのもとに戻って来られる。神の契約の中に留まるユダヤ人は、イスラエルの王をイスラエルの地に迎える民である。

 

  異邦人で構成されるキリスト教会には、イエスを主キリストであると告白する神の契約の民ユダヤ人が存在しなくなった。神の契約の民を持たないキリスト教会に、御霊が留まられることはなかった。

 

  キリスト教はローマの国教となった。聖霊のいない教会は、モーセの十戒に逆らった。偶像を作り異教の伝統を混ぜ合わせた。キリスト教会は、ユダヤ人をキリストを十字架につけた民として憎み、ユダヤ人を迫害した。こうして、神との契約を受け継ぐアブラハム、イサク、ヤコブの子孫イスラエルを地上から撲滅することを良しとした。キリスト教会は、ユダヤ人殺戮の霊に動かされた。

 

  それは、イエスが地上に来られイスラエルの地を歩まれた時、イエスを殺害する意に燃えた祭司や律法学者達を動かした宗教の霊であった。十字軍もヒトラーも神に敵対する霊によって立てられ、ユダヤ人虐殺を正義とした。

 

  イエスを信じなかったユダヤ人は神の怒りを買い、イスラエルの地から離散した。それから、千九百年近く経って、神の約束通りに先祖の地に戻され、1948年にユダヤ民族のイスラエル国家が建国された。その前後から、神はユダヤ人に現れ、イエスがキリストであることを啓示された。それで、キリストを信じるユダヤ人が起こされるようになった。

 

  それ以前に異邦人のキリスト教会にも聖霊が下られ、御霊によって信仰の覚醒が始まっていた。御霊によって教えられたクリスチャンはユダヤ人に敵対する者ではなかった。

 

  「ユダヤ人は、福音によれば、異邦人のゆえに神に敵対している者(神が遣わされたキリスト・イエスを信じない者)ですが、選びによれば、先祖達(アブラハム、イサク、ヤコブ)のゆえに、神に愛された者なのです。神の賜物(世界の光となる民族としての祝福)と召命(イスラエルの王、メシアの民、神の祭司の王国としての役割)とは変わることがありません。」     ローマ書11:28,29

 

  御霊を取り戻した異邦人のキリスト教会は、真理に目が開かれ、ユダヤ人を迫害し、神の契約をユダヤ人から奪い、ユダヤ人を根絶してキリスト教会のものにしようとしたキリスト教会の企みに気づき、悔い改めた。

 

  キリスト教会は、神に罪を犯していたのである。割礼のしるしを持つユダヤ人は神の契約を失い、キリストを信じて心に割礼を受け心に律法を記される新しい契約のキリストの民こそが、神の民イスラエルであるとし、ユダヤ人は神に捨てられ、神の契約はユダヤ教を信じるユダヤ民族からキリスト教を信じるキリスト教会に移された、とした。

 

  アブラハムの契約を受け継ぐユダヤ教徒の肉的イスラエルを否定し、神の御子キリストにあって創造されるキリスト教徒を霊的イスラエルとして、本物の神の民イスラエルとした。これを置換神学と言います。間違った神学で、人間が作り出した偽りの教えでした。神の真理ではありません。

 

  キリストの救いは、ユダヤ民族と神の契約によって成し遂げられるものであり、この神の契約の土台の上に、キリストの教会が建てられると、聖書は言っているのです。

 

  敵が混ぜ物を入れて真理に覆いを掛けられたキリスト教会は、悪魔の策略にはまり、真理から外れ、ユダヤ人を迫害し神に敵対しました。キリスト教会は、罪に落ちました。

 

  終わりの時代に、神は御霊を戻してくださいました。回復の時が来たのです。キリスト教会が目を覚ます時です。それで、キリスト教会に悔い改めの霊が注がれ、イエス・キリストの兄弟ユダヤ人に罪を犯すものではなくなりました。

 

  御霊を受ける人々は、思いの覆いが取り除かれ、神の愛の中に入りました。神の愛は、ユダヤ人にも異邦人にも等しく注がれ、捨てることのない神の変わらぬ愛に喜びと感謝を献げ、平安を受けるのです。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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