ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスは預言者

 

  イエスは、神から預言者の油を注がれたキリスト(救世主)です。天から遣わされた預言者です。これから起こることを弟子達に告げられました。

 

  イエスを地上に遣わされた神は、天地万物を造られた創造主であり、永遠の昔からおられる神です。また、天地万物を無にし、終わらせる神でもあります。また、その終わりには、世を裁く、裁き主なのです。

 

  創造主にして裁き主なる神が、救い主キリストを、地上に遣わされたのです。

 

  アモス書3:7に、こう書かれています。

  「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」

  天を張り、地の基を定め、人の霊をその中に造られた主は、ご自分のしもべ預言者に、はかりごとを伝えられるのです。

 

  イエスは、イザヤ、ダニエル、ミカ、ゼカリヤ等、多くの預言者によって、預言されていたメシアです。

 

  イエスは、預言者達の語った預言通りに来られました。メシア預言は、人の子イエスによって、ことごとく成就しています。

 

  イエスは、新しい契約を持って、地上に来られました。ユダヤ人の王として来られたイエスは、十字架の死と復活を経て、イスラエルの王となられるのです。

 

  ユダヤ民族の神が、公に天地を治める全地の神となられます。イスラエルを治めるユダヤ人の王が、全地を治めるイスラエルの王となられるのです。

 

  このことによって、神がアブラハムに約束されたことが成就されるのです。神は、アブラハムを多くの国民の父とする、といわれました。また、妻サラを祝福し、彼女は国々の母となり、国々の民の王達が彼女から出て来る、と約束されました。これは、後の日に集められる、霊的な救いの子らのことをさしています。

 

  サラに、ひとり子イサクが生まれました。そして、イサクから双子の息子エサウとヤコブが生まれました。エサウとエサウの子孫は割礼の民ですが、神の契約を持たない民です。ヤコブとヤコブの子孫イスラエルは、神の契約を相続する民です。

 

  イエスは、神の契約を持つ民イスラエルのうちで生まれた、メシアです。肉においてはユダヤ人、霊においては天国の神の御子です。肉なるユダヤ人に、霊なる神の御国の新しい契約を与えるために来られました。

 

  イエスは、ユダヤ人に言いました。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」

 

  ユダヤ人は言った。「この神殿(ヘロデの神殿)は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」

 

  肉なるユダヤ人に、霊なることは理解できません。ユダヤ人は、イエスがヘロデの神殿のことを言われたと思ったのです。しかし、イエスはご自分のからだのことを言われたのです。

 

  神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。真の礼拝者達が霊とまことによって父を礼拝する時が来たのです。イエスは、この世の神殿ではなく、神御自身が聖霊によって造られた、新しい霊的神殿であることを言われたのです。

 

  神は、これから造られる霊的神の宮の初穂として、イエスを現されました。神を礼拝する者が、御霊を宿す神の宮となるのです。

 

  事実、イエスが十字架で流された血による罪の赦しを受けた者達は、神の子とされる特権を得ます。彼らのうち、神のことばを信じ、イエスのことばに従って御霊を受ける者達は、御霊を宿す聖霊の宮とされるのです。聖霊の宮は、神の神殿であるキリストの御名によって、父なる神を礼拝します。

 

  神は、律法によって神と結ばれていたユダヤ人を、完全に律法を守り、律法を全うされた神の子羊イエスの贖いの血と、死から復活させた聖霊の力によって、天で永遠に生きる神の子に創造されます。

 

  肉で蒔かれたものを、御霊によって刈り取られるのです。全地の王となられるキリストは、ユダヤ人にイエス・キリストの福音を宣べ伝えさせて、全地の希望の光、世の光とされるご計画でした。

 

  しかし、肉の思いで霊の思いが塞がっているユダヤ人達は、神のご計画を退けました。顔に覆いを掛けたモーセのように、古い契約が朗読されるときに、同じ覆いが掛けられたままで取りのけられていません。その覆いは、キリスト・イエスによって、取り除かれるものだからです。

 

  モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いが掛かっているので、イスラエルの人々の思いは鈍くなりました。しかし、人が主イエスに向くなら、その覆いは取り除かれるのです。そのことは、ユダヤ人だけではありません。異邦人の霊の目も開かれるのです。

 

  イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何と見事な石でしょう。何と素晴らしい建物でしょう。」

 

  すると、イエスは言われた。「この大きな建物を見ているのですか。このすべての物に目を見張っているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石が崩されずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

 

  弟子達は、密かにイエスに尋ねた。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたがメシアとして来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

 

  そこで、イエスは彼らに答えて言われた。

  「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。

  また、戦争のことや、戦争の噂を聞くでしょうが、気をつけて、慌てないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こります。

 

  これらのことは、産みの苦しみの始まりです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しい目に会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

  また、そのときは、人々が大勢つまづき、互いに裏切り、憎み合います。また、偽預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

 

  不法がはびこるので、多くの人達の愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

  この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民に証され、それから、終わりの日が来ます。」

 

  この世の終わりは、キリストをイスラエルの王として迎える、輝かしい霊的な地上世界の幕開けなのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子ども達の栄光の自由の中に入れられます。被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしています。被造物も、切実な思いで神の子ども達の現れを待ち望んでいるのです。しかし、そこに至るには、必ず、地球全体が患難をくぐるのです。

 

  また、イエスが十字架の死から復活された後、天に上られ、神がイエス・キリストに黙示をお与えになりました。キリストは、すぐに起こるはずの事をそのしもべ達に示すために、御使いを遣わして、この黙示をしもべヨハネにお告げになりました。

 

  『ヨハネの黙示録』は、終わりの時代に起こることを書き記した、イエス・キリストの黙示なのです。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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