ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスがメシア

 

  イエスの時代、イスラエルはローマ帝国に支配されていました。イエスの十字架と復活のわざが完了して四十年程経ったAD70年に、ローマ帝国の軍隊によってエルサレムの神殿が崩壊し、ユダヤ人はエルサレムから追放されました。

 

  イエスが嘆かれた通りになりました。

  エルサレムを見たイエスは、泣いて言われた。「おまえももし、この日のうちに平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。

 

  やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子ども達を石に叩きつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日がやって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」

 

  彼らの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神が先祖に約束しておられたメシアを、預言者達のことば通りに、ユダヤ人に遣わされたのに、ユダヤ人は神の子羊イエスをメシアだと認めなかったのです。

 

  イエスのことばを聞いても、イエスがされるしるしや奇跡を見ても、病の癒しや死人の生き返りを見ても、ユダヤ人はイエスを信じませんでした。祭司、律法学者、パリサイ人達が民衆を扇動したのです。彼らにとって、イエスは都合の悪い存在です。彼らの権威が地に落とされてしまいます。イエスのことばによって、自分達の立場が失われてしまいます。

 

  ユダヤ人は、人を恐れました。ユダヤの会堂から追放されることを恐れたのです。神が天から送られたメシアを、彼らは拒みました。とうとう、十字架につけてイエスを処刑にしたのです。神の御子を知らず、自分を神と等しくする(神を父と呼ぶ)御子を神を冒瀆する神の敵対者として、神の御子イエスを処刑したのです。

 

  ユダヤ人達は、イエスを処刑することを、激しく要求しました。『ユダヤ人の王』という罪状に、祭司長達は答えました。「カイザル(ローマ帝国の皇帝)のほかには、私達に王はありません。」ローマ帝国の支配からの解放を願っていたユダヤ人が、神が遣わしたユダヤ人の王イエスを拒み、ローマ帝国の王カイザルを選んだのでした。

 

  また、罪のない人を処刑することをためらうピラトに対して、民衆は答えました。「その人(イエス)の血の責任は、私達や子ども達の上にかかってもいい。」

 

  彼らは、自分で自分自身に呪いをかけたのです。彼らの神は、イスラエルを祝福する者を祝福しイスラエルを呪う者を呪う、と言われる神です。イスラエルの王を呪うユダヤ人は、神に呪われる道を選んだのです。

 

  ユダヤ人達は叫びました。「神殿を打ち壊して三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。そうしたら、我々は信じるから。」

 

  父なる神の怒りは、どれほどのものだったことでしょう。イエスは、父に祈りました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」イエスは、彼らの罪と呪いを負って、十字架で贖いの血を流されたのです。

 

  メシアを地に遣わしたのに、ユダヤ人は自分達を救うメシアを信ぜず憎み殺しました。彼らこそが、神に逆らう者だったのです。イエスを神を汚す罪人に仕立てたユダヤ人は、神に大きな罪を犯しました。

 

  イエスのことを嘆き悲しむ女達を振り向いたイエスは言われました。「エルサレムの娘達。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子ども達のことのために泣きなさい。」

 

  神殿は破壊され、ユダヤ人は、全世界へと離散しました。神がそうされたのです。神が遣わしたイエスを信じなかったからです。メシア(神の子羊イエス)が訪れたことに気づかなかったのです。それで、今でもユダヤ人は、神が遣わされたイエス・キリストに背を向けて、メシアを待ち続けています。

 

  人は、ローマ帝国やその他の国々を見ますが、それらは神に動かされた駒にすぎません。邪悪な者たちを使って、神は、御自分の民を苦しめられます。神は、ユダヤ人を憎んでおられるのでしょうか。いいえ、神の民だから、懲らしめるのです。彼らを良いものにし、祝福を与えるために、悪いもの(不信仰)を彼らから取り除かれるのです。

 

  神が神の民として認められる民族は、ユダヤ民族だけです。神がメシアはイエス・キリストただおひとり、と定めておられるのと同様です。

 

  バビロン捕囚されていたユダヤ人に、エルサレムからエレミヤは預言しました。

  「まことに、主はこう仰せられる。『バビロンに七十年の満ちる頃、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所(イスラエルの地)に帰らせる。

 

  わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 

  あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。―主の御告げ―

 

  わたしは、あなたがたの捕らわれ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。―主の御告げ―わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」

 

  エレミヤの預言通り、七十年が経った頃、ユダヤ人はイスラエルの地に帰還しました。

 

  また、終わりの時代、AD70~135年に世界に離散したユダヤ人は、1948年のイスラエル建国により千八百年以上の時を経て、イスラエルの地に帰還しています。

 

  それは、ユダヤ人のうちに密かにイエスがメシアであると気づき、イエスを主キリストであると心で告白する人々が起こされていたからです。

 

  彼らのイエスとの出会いは、サウロ(後のパウロ)のように、超自然的なものでした。人から教えられてイエスを信じたのではありません。イエスの霊が、彼らに御自身を表わされたのです。

 

  ユダヤ人がイスラエルの国を追われ、世界に離散したのは、イエスがメシアであることを信じないユダヤ人を怒った神の御手による事でした。今、世界中に離散していたユダヤ人がイスラエルの地に帰って来るのも、神の御手によるものです。

 

  今の時代は、イスラエルの地に帰ることが、ユダヤ人の信仰の証です。神はユダヤ人のうちに信仰を見て、祝福されます。

 

  ユダヤ人をイスラエルの地に帰らせるのが、神の御心です。ユダヤ教徒ではなく、アブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫をイスラエルの地に集められるのです。

 

  「恐れるな。わたしはあなたとともにいるからだ。わたしは東からあなたの子孫を来させ、西からあなたを集める。わたしは北に向かって『引き渡せ』と言い、南に向かって『引き止めるな』と言う。

  わたしの子ら(ユダヤ人)を遠くから来させ、わたしの娘ら(キリスト・イエスを信じるユダヤ人)を地の果てから来させよ。」  イザヤ書43:5,6

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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