ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリスト・イエスは愛の信仰

 

  世界には多くの宗教があります。創始者や教祖が生きている新興宗教もあります。人々は、その教えに耳を傾け、望みを持ちます。

 

  日本で言うと、日本神道や仏教は古くから日本人の心を支えて来ました。仏教徒だと自分で思っている人々も、神社の前で一礼したり、何か願い事がある時には神社へ行って祈ったり、お守りを買って身に付けたりします。

 

  彼らにとって、信心の対象なのです。信心の対象となるものを敬い畏れます。汚してはならない存在だと思います。しかし、愛の対象だと考えることはないでしょう。守ってくれる存在と言う意味では愛の中に入るかも知れません。

 

  私の名前は、泰世と言いますが、父と母の思いが一致して付けられた名前です。男の子が欲しかった父は、男の子の名前しか考えていませんでした。医者も助産婦も周囲の誰もが、男の子だと言っていたので、父は男の子だと信じて私が産まれるのを楽しみにしていました。

 

  しかし、産まれて来た私は、女の子でした。二人目の子どもが欲しい母が、お寺の子安観音に寒参りして授かった子どもだったので、子安観世音の安と世を取った名前にしたそうです。安の漢字は、高い安いを連想するので、泰にして、泰世となったそうです。

 

  家から一分もかからない近いお寺ですので、幼い頃から親しんでいました。子安観世音によって生まれた子だと言われていたので、親近感もありました。また、高校時代は家で毎晩のようにお心経を唱えていました。般若心経です。

 

  私の信心の対象であり、拠り頼む存在でしたが、祈る時の私の脳は見えない宙なるところにおられる、触ることの出来ない霊的なものに向かっていたのを覚えています。

 

  神仏は心安らぐ存在ではありましたが、愛の対象ではありませんでした。私を守ってくれる存在でしたが、それを愛だとは認識していませんでした。ましてや、私は信じる者であって、観音様を愛していると思ったことはありませんでした。助けを必要とする時の警護してくれるような存在でした。

 

  神仏は、信心の対象であって、愛する対象では無かったのです。神仏が人ではないからです。

 

  イエスは人の子でした。肉体を持つ人の姿をした神の御子です。天の神が、人を救うために地上に遣わされた神のひとり子です。

 

  人の目で見る事が出来、肉声を聞く事が出来、手で触る事が出来る人の子でした。人間と同じように痛み苦しみ悲しみ傷ついてこの世を生きた、ひとりのユダヤ人だったのです。

 

  イエスは人の悲しみや苦しみや痛みをそのまま理解できる、人間をよく知る神の子です。自称神の子ではありません。天の神が、御自分のひとり子だと認める、唯一の神の御子なのです。

 

  イエスは、人の子として処女マリアの胎に入る前は、永遠の昔から神のひとり子として、神とともにおられたのです。天地万物が造られる前から、神の御子として存在しておられた、実質的な神の御子なのです。

 

  神の御子は神とともに居て、アダムとエバが造られる様も見ておられます。父とともに天地万物を造られたのです。この方によらないで、出来たものは何一つありません。すべての被造物の王であり、所有者でもあるのです。

 

  その神の御子が、神の御姿を捨てて、人間と同じようになられたのです。神に仕える御使いよりも低くなり、肉体の不自由の中でうめかれました。

 

  神は、滅びゆく人間を惜しまれ、死の呪いから救い出す計画を立てられました。罪は、神と人を隔ててしまいます。隔ての罪を除かなければ、罪人を神の御国に入れることは出来ません。神の御国は聖なるところです。全き聖は、汚れを一掃します。汚れは神の御国に存在することが出来ません。ただちに消滅してしまうのです。

 

  神と隔てる罪を取り除かなければなりません。神は罪人の罪を処罰するために、罪の無い、全き聖なる神の子羊を用意されました。神の子羊を生贄として屠り、罪人の身代わりとして、罪を処罰されるのです。罪人を罪なき全き者としてこの世から救い出し、永遠の神の御国に入らせる方法はこれしかありません。

 

  神のひとり子は、神の子羊として、神の民ユダヤ人の中に遣わされました。イエス・キリストは、この子羊でした。天から遣わされた贖いの子羊です。

 

  神のひとり子は父に従い、人の子として生まれ、神の子羊として十字架にかかり、人類の罪の身代わりとなられたのです。十字架で流された神の子羊イエスの血は、罪人の罪を贖う、唯一の血です。罪を取り除き、永遠のいのちを与える、贖いの血です。

 

  聖霊のバプテスマを授けるキリストが与えられる御霊は、救われた魂を新しく生まれさせ、霊のからだを創造される方、天の御国で生きる神の子をかたち造られる方です。聖なる御霊はへりくだり、卑しき土の器である肉体のうちに住まわれるのです。

 

  人を愛する神が、御自身のひとり子を犠牲にし、父なる神を愛する神のひとり子が父に従い、人の身代わりとなって、ご自分の命を人に与えられました。

 

  天の神は、愛の神です。愛によって結ばれています。ですから、キリスト信者は、イエスを愛し、神を愛するのです。

 

  神が人を愛してくださいました。神はそのひとり子を世に遣わし、その方(イエス)によって人に、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が人に示されたのです。愛は神から出ているのです。

 

  愛のない者に、神はわかりません。何故なら、神は愛だからです。

  イエスを神の御子と告白する者は、愛する愛も与えられます。

  イエスを信じる者は、神の愛を知り、また神を信じているのです。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷著 (青い表紙の本)

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