ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神は天の神おひとり 救世主はイエスキリストただひとり

 

  天の神様、地の神様と言いますが、神と呼ばれる方は、ただひとりしかおられません。悪魔もよく知っています。

 

  天地万物を造られた創造主です。世が終わる時、天地万物を造らなかった神々は皆、滅ぼされる、と聖書にあります。

 

  滅ぼされる神々は神と名乗ってはいても、悪魔に権威を与えられた神々であって、裁きをされる天の神が認めておられる神ではないからです。悪魔は多くの神々を人間に与えて、真の神に背を向けさせ、逆らわせています。

 

  人間の思いを神々に向けさせ、思いを暗くし、真の神の救いから遠ざけて、滅びの道を歩ませます。人間が欲するものを与えて心をとらえ、偽りの光で照らして、真理の光に向かわせません。

 

  真理の光は、闇を明らかにします。聖なる光の中では肉と霊が切り離されます。痛い思いをします。痛い思いを避けて歩むと、どうしても神々のところに導かれて行くのです。

 

  しかし、偽りを望まない人は、真理を求めます。肉は傷み傷ついても、魂が喜ぶ体験をするからです。彼らは、肉の喜びは一時的なものであることを知っているのです。

 

  天の神おひとりと言いますが、正確には、三位格を持たれた神をさします。三位格だから、三人にも思えますが、三つの位格を持つひとりの神ととらえるようです。

 

  天の神は、永遠の昔からおられた霊なる神です。人の目には見えませんが、人が造られる前から存在しておられ、すべての被造物を造られた主権者なのです。悪魔も、この絶対的主権者の神に造られた被造物です。神の統治下にあって、神の許しのもとで働いているのです。

 

  神に造られたものの中で、反逆者の姿が悪魔なのです。どんなに強そうに見せていても、神の域を超える事が出来ません。神の造られた世界の中で動き回るだけです。

 

  しかも、悪魔はすでに神に敗北しています。神のひとり子が地上に肉体をもって来られました。肉体を持った神の御子なんて、恐ろしくありません。殺してしまえば終わりです。朽ちて無くなるだけです。

 

  ユダヤ人を惑わし、御子イエスを殺害した時は、どんなに歓喜したことでしょう。もうこれで、悪魔の働きを妨げる者はいなくなった。何が、神の子だ。弱いものじゃないか。消え失せろ、と願ったら、悪魔の思い通り、恥さらしな十字架で処刑することが出来たのです。

 

  しかも、神が御自分の民だ、と誇っていたユダヤ人がイエスを憎み、呪いをかけて殺してくれたのです。どうだ、イエス、この世にはおまえの味方をする者は誰ひとりいなかったではないか。弟子達も逃げ去ったし、イエスを取り戻すために抗議する者もいなかった。おまえは捨てられたのだ。この世は俺様が神だから、皆、悪魔に従うのさ。この世は誰もイエスを望んではいない。滅びの穴に閉じ込めてやる。

 

  しかし、イエスを閉じ込めることは出来ませんでした。神に贖いの血の勝利を宣言され、死から甦られたのです。イエスの死は、敗北の死ではありませんでした。死から復活する甦りの証を立てる死だったのです。死に勝利するために、死の世界に下られたのでした。イエスはご自分が甦っただけではなく、死んだ人々を甦らせ、多くの魂を勝ち取るために死なれたのです。

 

  悪魔が奪ったと思った真理の光は、キリストの復活とともに、益々輝き世界に広がりました。イスラエルで起こったことが全世界で語り広められました。イエスの復活は、弟子達の信仰の確信となり、希望となり、喜びとなり、勢いとなったのです。

 

  赤っ恥をかいたのは、イエスではなく、悪魔だったのです。しかし、悪魔はイエスは甦ったのではない、弟子達がイエスの遺体を盗んで行って、イエスが甦られたと嘘を言い広めているのだ、とユダヤ人を信じ込ませることに成功しました。

 

  悪魔はイエスに敗北しましたが、人間には敗北していません。いくらでも自分の思い通りにすることが出来ます。弟子達は復活のからだのイエスを何度も目撃しているので、確信を持って証言します。しかし、霊の目が閉じられている多くのユダヤ人達は、復活のからだが見えないので、キリストの復活を信じることが出来ません。彼らは悪魔の手中にありました。

 

  イエスは、地上で天の神の証をされました。父なる神と助け主なる聖霊と御子なるキリストです。この三位格が神であって、ほかにはないことをはっきりとさせられました。

 

  そして、イエス・キリストを信じる者は、天の神に繋がる者であり、復活のからだと永遠のいのちを受けて、天の御国でキリストとともに生きる者とされる、と言う希望をくださったのです。

 

  神のひとり子であるイエスが、神の権威をもって、約束されたことです。神が認定される救世主は、神の御子ただおひとりです。

 

  「私がキリストだ」と、どんなに多くの人々が名乗ったとしても、人を驚かすような知恵と知識を持つ力ある人が現れたとしても、大勢の人がこの人が救世主だと支持する人が現れたとしても、世を裁かれる唯一の神が認められる救世主は、キリスト・イエスただおひとりなのです。

 

  このことは、永遠の昔から定められていました。そして、二千年前の十字架の死と復活で、イエスが天から遣わされた神の御子キリストであることが証されているのです。

 

  神が認められるキリストは、最初から最後まで、イエスただおひとりしかおられません。そして、永遠に神と呼ばれる方は、イエスをこの世に遣わされた父なる神おひとりなのです。正確に言えば、父なる神とともにおられる御子イエスと聖霊の三位一体の神、永遠に生きておられる神おひとりなのです。

 

  これらのことを堅く握って、悪魔に惑わされないようにしましょう。騙す者にそそのかされないように、信仰を保ちましょう。世の終わりには、偽キリストや偽預言者達が現れて、大きなしるしや不思議なことをして選民をも惑わそうとする、とイエスが警告しておられるからです。

 

 

        著作本『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

    アマゾンkindle、紙書籍(オンデマンド印刷)、楽天kobo