ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

祈りの城壁

 

  二十五年ほど前、イスラエルに関心を持つ私に、ある人がブリッジス・フォー・ピース(BFP)の働きのことを教えてくださいました。スティーブンス・栄子先生が、全国のアグロ―の集会を巡り、BFPの働きを広めておられた頃のことです。

 

  愛知県豊橋のアグロ―の集会にて栄子先生からBFPのお話を聞き、それから、ニュースレターを送っていただいて、イスラエルについて学んでいました。

 

  キリスト教会がユダヤ人を迫害し、ユダヤ人の心に大きな傷を与えたこと。ユダヤ人は、教会の主であるキリストを憎んでいること。ユダヤ人の心を頑なにし、キリストに敵対させているのは異邦人の誤った信仰による事であることがわかりました。

 

  あまり聞きなれない言葉ですが、置換神学と言って、キリストを十字架につけたユダヤ人は、神から捨てられた。それで国も失い、神の民ではなくなった。神が天から遣わされた贖いの子羊イエスを主キリストであると信じ、告白する異邦人こそが神の御心にかなう民、神の民だと考える神学です。

 

  ユダヤ人に約束された祝福の契約は、ユダヤ人からキリストを信じるクリスチャンに移行しているという考えで、クリスチャンが選民意識を持つのです。これは聖書的な考えではありませんが、長い間教会の土台を形成して来た考えなので、誰も異議を唱えません。何かおかしいなと感じても、それに対して納得のいく説明をしてくれる人は見当たりません。

 

  聖書には、ユダヤ人、イスラエルという名称が何度も出て来ますが、これをクリスチャンや教会に置き換えて捉えて来ました。

 

  1948年までは、イスラエルの国が世界に存在しなかったので無理もありません。ユダヤ人は世界の国々に離散し、国を持たない民だったのです。1800年以上もその状態だったのです。イスラエルは、都市伝説的な国だったのです。

 

  しかし、1948年を境に、イスラエルは再び先祖の地に建国され、ユダヤ人は世界各国から帰還しています。離散した国の国民に同化せず、ユダヤ人としてのアイデンティティを保っていられたのも奇跡です。彼らは神に与えられた律法を守り、安息日や神の祭りを祝って、神の約束の地に帰還する日が来るのを待ち望んでいたのです。

 

  彼らにとって律法は、神の民である証であり、異邦人と選民イスラエルを区別する神の契約でもあります。ユダヤ人の聖書は旧約聖書です。メシアを待ち望む信仰をもって、神に仕えています。

 

  クリスチャンの聖書は、旧約聖書と新約聖書です。ユダヤ人が待ち望んでいるメシアは、イエス・キリストという姿ですでに来られています。ですから、旧約聖書を読む機会は少ないのです。新約聖書は、神の子羊イエスが旧約聖書の預言通りに来られたことの証と、律法の呪いから贖うキリストであることの証言が書かれています。

 

  新約聖書には、天から来られた神の御子イエスが、永遠のいのちと新しいからだ(霊のからだ)を与えると言う、新しい契約が書かれています。

 

  永遠の父と永遠の神の国を知らせ、永遠の神の子とされるための契約が記された、キリスト・イエスとの新しい契約の書です。

 

  イスラエルが建国され、ユダヤ人が帰還し、へブライ語を話す国民となりました。イスラエルは回復されたのです。しかし、これは旧約聖書の中の回復であって、本当の回復は、新約にあります。

 

  旧約は新約の影です。目に見える肉なるひな型です。本質ではありません。本当のものは、目に見えない霊的なものです。目に見えるイスラエルを集めることによって、神は、目に見えない霊的イスラエル、キリストの王国が建てられることを保証しておられるのです。世界中の神の子(イエスを主と告白する者)を集められます。そして、墓に入っているユダヤ人も復活し、アブラハム、イサク、ヤコブの隠された血肉の子孫が皆、喜びながらシオンに入るのです。

 

  BFPは、ユダヤ人の心を頑なにしてしまった教会の罪を悔い改め、ユダヤ人を迫害し、殺害した歴史を認め、ユダヤ人の心が癒されるように祈り、ユダヤ人のために食料を配布し、ユダヤ人の祝福のために祈りを積み上げて来ました。

 

  BFPのスタッフの働きの壮絶さには頭が下がりました。25年程前の報告では、ユダヤ人は決してクリスチャンから食料を受け取りません。クリスチャンから与えられる食べ物を食べるくらいだったら、飢餓になった方がましだ、と突き返されるのです。

 

  ヒトラーも教会に行っていたようです。ホロコーストの痛みは新しく生々しい傷です。BFPの祈りは、ユダヤ人の心の傷が癒されますように。教会やクリスチャンが犯した罪によって受けたユダヤ人の苦しみ、痛みに対しての執り成しでした。

 

  ユダヤ人から拒絶され嫌われながらも、食料を何とか受け取ってもらいたい、ユダヤ人を祝福したいとの、BFPの祈りとスタッフのへりくだりの信仰が、ユダヤ人の心に水を注ぎ続けました。

 

  ユダヤ人が食料を受け取ってくれるようになった、との報告にBFPは心から神に感謝し励まされました。ある頃から、食料を受け取ったユダヤ人が「ありがとう」と言ってくれたとの報告が入り、異邦人教会が犯してきた罪の重さを噛みしめながら、心に喜びの灯が灯り、涙をもって神に感謝しました。

 

  ユダヤ人から拒絶されながらも献身的に働くスタッフは、打たれても叩かれても黙々と父なる神に従われるキリストの姿そのものでした。教会の罪を背負い、諦めることなく、繰り返し、何度も何度もキリストの愛を届けていました。単なる慈善では出来ません。キリストの愛に動かされた犠牲を伴う愛の行いだったのです。

 

  日本のイスラエル大使が任期を終えて国に変えられる時、東京のBFPハイナイトの集会に挨拶に来られました。会場は喜びに満ち溢れました。ユダヤ人をお迎えすることが出来たのです。

 

  賛美の声は一つとなって、天に上る力強いものでした。会場が揺れ動くくらい大きな賛美の歌声が立ち上る中で、神は一つの幻を見せてくださいました。

 

  ユダヤ人の大使を中央に会場を取り巻く、大きな大きな城壁です。数十メートルの高い堅固な城壁です。クリスチャンの執り成しが、イスラエルに霊的な堅固な城壁を造り、敵の攻撃から守っているのだ、と思いました。

 

  祈りは霊的な世界に霊の建物を建てているのです。目には見えないので、何の手応えも感じることが出来ません。それで、空しく感じることもあります。しかし、霊の世界では、確かに祈りは積み上げられているのです。

 

  祈りによって積み上げられた城壁は、敵である悪魔の攻撃から守ってくれるのです。

 

 

    著作本 『人はどこから来てどこへ行くのか』鍵谷泰世著 (青い表紙の本)

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