ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ひとりで神の御前に立つ

 

 世界的な伝道者として活躍するルイス・パラウ先生ご夫妻が来日された時のことです。

 

 パラウ夫人のメッセージが印象的でした。夫人は敬虔な宣教師である両親に育てられた女性です。家庭内でケンカをしたり、言い争う事のない、神のみことばと祈りの中で育っていました。ご主人の家庭は家庭内で言い争う事がある普通の家庭で育てられていました。ふたりが結婚すると、その育った環境の違いが露わになりました。

 

 ご主人は感情的になりやすい人でした。すぐに血が上って汚い言葉を投げつけます。夫人は汚い言葉を聞く体験のない環境で育っているので、初めは何が起こっているのか理解できなかったようです。ただ呆気に取られて、感情のまま言葉を吐き出すご主人を見つめるだけでした。

 

 ご主人は言いたいことを気が済むまで吐き出し続け、吐き出した後は、罰が悪い風情でもなく、普段の状態に戻るのだそうです。

 

 夫人は冷静に夫の言葉を記憶し、それを紙に書き出して、夫が必ず通る場所にその紙を貼って置くのだそうです。汚い言葉を吐くだけ吐いてすっきりしたご主人は、その後、自分が吐いた汚い言葉の数々を自分の目で見る事になります。冷静な状態で読んだ時、それらの言葉がどれほど神に反する言葉であるのかを客観的に知るのです。そして、自省するのです。このようにして、ご主人の感情のコントロールが育っていったのだそうです。

 

 なんて知恵深い女性なのだろう、と感心しました。女性の方が感情的なので、応戦しがちです。それで、互いに汚い言葉を投げつけ合って、しばらくは険悪な状態が続きそうなものです。でも、夫人が参戦しないので、争いにはなりません。ご主人の一人相撲で終わります。

 

 ご主人は感情をコントロールする人となられました。そして、熱い神の人となられました。

 

 その夫人が、息子さん達に忠告した言葉が、私の信仰を目覚めさせました。

 「神の御前に立つのは、あなた達ひとりひとりなのよ。そこには、お父さんもお母さんもいないの。お父さんが神の伝道者だからと言って神に優遇されることはないわ。あなた達ひとりひとりの事が調べられるのよ。誰も庇ったり守ったりはしてくれないのよ。あなた自身が自分で言い訳しなければならないのよ。だから、自分の言動に責任を持ちなさい。お父さんの信仰でもお母さんの信仰でもないわ。自分自身の信仰で神の御前に立つのよ。」

 

 地上に居る時は、教会の群れの中での信仰が求められる部分もありますが、神の御前に立つ時は、一人の信仰が調べられるのだ、と思いました。

 

 神に向き合うのは、自分自身であることを肝に銘じました。多くの人々の中でその他大勢の一人としてではなく、個人としての信仰の成長の責任を問われます。教会のせいや牧師のせいにはできません。

 

 キリスト・イエスを主とした時から、私達ひとりひとりは主のものです。祈りによって神と交わることができます。聖書のみことばによって教えを受けることができます。信仰は、イエスキリストとともにあります。キリストが与えてくださる御霊とともにあります。日常の生活のあらゆる場面に主がともにおられます。教会が一緒に学校や職場に行ってくれるのではなくて、御霊がともに居てくださるのです。キリストの御名がともにあるのです。

 

 主に従うかどうかは自分次第です。従うためには、主に祈り聖書を読むことが必要です。祈りやみことばは霊の糧であり、これによって霊の人は強められるからです。言い換えれば、霊の糧を食べていないと、肉の人のままであるという事です。祈りの応答やみことばに聞き従う事が信仰の道です。

 

 信仰の道を歩むと、内なる御霊が強められ、神の御前に立つ備えがされて行くのです。自分自身は弱くても大丈夫です。御霊が助けてくださいます。

 

 御霊とともに歩んだ人が神の御前に立つと、キリストが保証人となって弁護してくださいます。イエスを愛する人や神に信頼する人は、神が遣わしてくださった御霊とともに歩むことだ、と思います。