ふたりの御使いはロトに言った。
「ほかにあなたの身うちの者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内の者も皆、この場所から連れ出しなさい。私達はこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが主の前で大きくなったので、主はこの町を滅ぼすために、私達を遣わされたのです。」
そこでロトは出て行き、娘達をめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われたので、婿達も嫁いだ娘達もソドムに留まった。
御使い達はロトを促して言った。
「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘達を連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」
ロトがためらっていると、ふたりの御使いはロトとロトの妻の手とふたりの未婚の娘の手を掴んで彼らを連れ出し、町の外に置いた。
そして、御使いのひとりは言った。
「いのちがけで逃げなさい。後ろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
ツォアルの町に逃れることを望むロトの願いは聞き入れられた。ロトがツォアルに着くと、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々の低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。
主はロトを憐れまれた。それで、彼らをソドムの町の外に連れ出し、彼らに裁きの手がかからないように守られたのです。
この災いは主から出たものでした。民を目覚めさせる災害ではなく、民を滅ぼすための天からの災いです。
神は神を畏れる正しい者達を、町全体の裁きから救い出されました。このために、ロトの伯父アブラハムは神に懇願していたのでした。正しい人アブラハムの願いを神は聞き入れられたのです。
ロトはためらいました。まだ、この町には嫁いだ娘達がいるのです。婿達はロトの言葉を信じなくても、娘達を説得して娘達だけでも町の外へ出すことは出来ないものか、そんな迷いもあったのかも知れません。もう少し時間をください。
しかし、主の時はすでに来ていました。ロトを救うのに時間を取りました。もう十分です。そこでためらっていると、アブラハムの執り成しも無駄になります。神の恵みを失ってしまいます。御使いは有無を言わせず、ロトを生かすために町の外に連れ出しました。
明日の事は明日が心配します。今は命を救い出すことです。ロトは御使いに手を取られた時覚悟したのでしょう。これはただ事ではない。現実なのだ。御使いの力強い手と緊迫した様子を肌で感じたのでしょう。
御使いを離れると、いのちがけでツォアルの町に向かいました。ただひたすら、ソドムの町から遠くに離れようと逃げました。立ち止まる余裕なんてありません。必死です。
ツォアルに着くと妻はいませんでした。妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまったのです。御使い達は、ロト達に言っていました。
「後ろを振り返ってはいけない。立ち止まってはいけない。高い所に逃げなさい。」これは、命を得るための忠告でした。ロトも娘達もツォアルに辿り着くためにいのちがけで逃げました。
ロトの妻は何を思ったのでしょう。逃げた先で生きていくための必要を心配したのでしょうか。町に残した嫁いだ娘達を心配したのでしょうか。今までの生活に未練を持ったのでしょうか。ロトと娘達は何も考える余裕なく、ただ滅ぼされないためにいのちがけで逃げました。御使いの言葉を恐れたのです。しかし、妻は御使いの言葉に逆らい、町を振り返り、塩の柱となりました。
神が用意された憐れみによる救いを体験しながらも、ロトの妻は救いの恵みに与かることが出来ませんでした。ロトや娘達と同じように町を離れ、目的のツォアルの町を目指していたはずなのです。それまでは御使いの言葉に従順でした。御使いに手を掴まれ、家族も一緒にいたからです。
しかし、ソドムの町の外を出て一人一人がツォアルの町に向かう時に、妻の心が試されました。御使いや家族に守られていた時とは違います。自分自身の神への信仰が必要でした。夫に従う従順があったら守られていたのかも知れません。御使いの言葉に対する信仰が乏しくても、夫の後に従うことで守られたはずです。
ソドムは繁栄した大きな町です。豊かな暮らしがありました。これから向かうツォアルの町は、小さな町です。繁栄とは程遠い田舎町です。知らない町、知らない人々、繁栄とは程遠い暮らしが待っています。しかし、そこには命が保証されているのです。
妻は生き延びる祝福よりも、生きてきた豊かさに後ろ髪を引かれたのかも知れません。命よりも財産を惜しんで、命を失ってしまったのかも知れません。
この事は、教訓です。イエスは言われます。
「いのちは食べ物より大切なもの、からだは着物より大切なものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、鞍に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっと優れたものではありませんか。」
この世に未練を持っていると、神の救いの日に、世に残されることが起こってしまうのです。私にその備えがあるのか、世に思いを持っていないか、自分自身を調べたいと思います。