ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ポンペイ

 

 イタリア・ナポリ近郊、ヴェスヴィオ山の麓にあった古代都市ポンペイは、西暦79年にヴェスヴィオ山の大噴火で発生した火砕流によって地中に埋もれた。

 

 町全体が火山灰に隙間なく埋め尽くされたため、ポンペイは古代ローマ当時のままの姿で残る唯一の町として知られている。

 

 市民は一瞬のうちに生き埋めとなった。発掘された際には遺体部分だけが腐敗消失し、火山灰の中に空洞ができていたそうで、考古学者達はこの空洞に斥候を流し込み、逃げまどう市民の最期の瞬間を再現した。

 

 ポンペイの遺跡には、人々の生々しい姿が復元されています。思わず、ぎょとしまっす。悲惨な姿です。ポンペイは商業が盛んな港湾都市で、よく整っており、ローマ人の別荘があるきらびやかな町だったようです。現代ではポンペイは快楽の都市とも表現されているようです。

 

 火山灰の下に眠っていた町です。何故、死の瞬間を切り取るような姿でこの町が残されたのか。これが、私の疑問でした。

 

 繁栄しおごり高ぶったソドムの町の裁きを思い起こします。「ロトがソドムの町から出てツォアルの町に着いた時、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた」と聖書に書いてあります。

 

 現在の調査で、ソドムの町があったとされる地域で、広域にわたって土地が焼かれた痕跡が発見されたそうです。それで、聖書の記事の裏づけが取れたようです。

 

 人間は学ぶに鈍い者です。ソドムの町が滅びた時、周囲の住民は驚き、神を畏れたことでしょう。これを教訓にして、神を怒らせることを避けようと心掛けたでしょう。

 

 昔の日本もそうでした。自然災害を神の怒りととらえ、神を恐れたものです。神の怒りを鎮めるための施策を村全体で行いました。神を祀り祭祀を執り行いました。大の大人が集まり、真剣そのものでした。子ども達は、そんな大人の姿を見て育ち、彼らもまた心から見えない神を恐れる者となったのです。

 

 しかし、文明の発展に伴い、人間の心はおごり高ぶりました。人間の心は目に見えるものに釘付けになりました。目に見えないものを恐れるのは、未開人のすることであると嘲笑います。いつの間にか、人間は神を畏れなくなりました。

 

 自然災害は、科学的に実証できる、法則のある現象だと定義づけ、これを正しく理解できれば、備えができるとします。難を逃れることに知恵を使います。神頼みは知恵のない愚かな人間どもの原始的方法で、何の根拠もない空しい事だとします。

 

 現象に意識を向ける人間にとって、目に見えないものを恐れる事は愚かなことです。幻を追っているように見えます。現実的ではありません。

 

 自然災害を神と切り離した人間は、心の暗い者となりました。神の存在がわかりません。神を否定する者、人間を神よりも高い存在とする者です。

 

 いのちがこの世限りならば、この考え方でもよいでしょう。しかし、いのちは死なない、魂は永遠と考える人にとっては、もやもやとしたものが残ります。何故、こんな危険が身に及ぶにのか、知りたいと思います。

 

 神がいるならば、何故、自然災害で人間を苦しめるのか、と神に怒りを感じる人も現れます。反応は人それぞれです。

 

 ポンペイは、神から遠く離れた人々に、終わりの時代に起こることを見せてくれているように思えます。終わりの時代、この世は火で焼かれて滅びることが聖書で預言されています。

 

 現代人は、目に見えない神のことを口にするのは恥ずかしい事だと思います。大の大人が、神に頼っているなんて、幼稚な生き方だと捉えがちです。現実逃避だと見る人もいるでしょう。神なんてこと言ってないで、もっと地に足をつけた考え方をしなさい、と忠告されそうです。

 

 これが現在の地球の姿です。神無しで、地球の構造上自然災害が周期的に起こり、神無しで、人間の知恵を結集して解決の糸口を探ります。これが、最上の科学であり、人間の叡智の最高のかたちだと思うのです。彼らにとって、神は古ぼけた迷信にすぎません。

 

 このような世の中にも、神を畏れる正しい人もいます。彼らは神を畏れ、神に仕えます。常に神を意識し、神に祈ります。人類に知られていないことですが、このような人々の執り成しによって、この世は保たれているのです。たとい僅かな人であっても、神はその祈りを聞き入れ、神は守られます。神に信頼する者に、神は忠実な方です。

 

 ポンペイの遺跡を見て、神に思いを向ける人は幸いです。神を畏れる心が芽生える人は幸いです。

 

 神は地球上に、警告の印を残してくださっています。神を信じる人は、その印から、神の警告をとらえ、神に立ち返るのです。

 

 自然災害から逃れる事が目的ではなく、自然災害の中に見えない神の存在を認め、神にへりくだる事が目的です。最近頻度が高くなっている自然災害、地震、洪水、台風、山火事等で、神に立ち返っている人はいるでしょうか。

 

 神は、神に立ち返る者に、永遠の住まいを用意しておられます。神の憐れみは、人々に届いているでしょうか。