ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

タラント

 

 今朝のテレビ番組「ライフライン」は、ゴスペルマジシャンRITOさんの福音マジックのお話でした。

 

 マジシャンとは、教会的ではない響きがします。出エジプト記のモーセの杖を通してなされる神の不思議なわざに対抗して、秘術を使って同じようなわざを行った呪法師を思い出します。あまり良いイメージがありません。

 

 しかし、思いは覆されました。マジックを使って、神のお話をするのです。日曜学校の子ども達に紙芝居をして福音を伝えるようなものです。紙芝居がマジックに代わっただけです。しかも、キリストを知らない人も、違和感なく見れます。

 

 マジックの不思議に驚くのと、神のことばがマジックの流れの中で自然に入って来ました。キリスト教という宗教概念ではなく、すべての人の生きている共通の世界観の中で、神の愛や真理に触れることが出来たのです。

 

 キリスト教では、教会の伝統的なルールに則った、包装紙のようなものがあります。その包装紙を見て、安心してクリスチャンはその中身を神からのものだと感謝して受け取ります。

 

 しかし、この世の人々は、クリスチャン達が安心する包装紙を見て怪しみ、その包装紙に包まれたものを退けます。この世の人々は、聖書が真理のことば、イエス・キリストが真理だとは信じていません。十字架のしるしを見て、キリスト教だ、私には関係ないと思うのです。

 

 教会が認める包装紙は古くからあるものです。この中にあるものは間違いないと思うのです。しかし、世の人から見たら、自分達を否定し選民意識を持つ集団の狭小住宅のように思えます。自由のない、狭い思想に押し込められる不安を感じ拒絶反応を示します。

 

 聖書の神は天地万物を造られた創造主だと教えながら、この世の人々を創造主の手のわざの者ではないようにとらえます。同じひとりの神によって生まれ、同じひとりの神によって生かされているということがぼんやりとしています。この世の人は自分達が聖書の神に拒絶されている者だと感じて、聖書の神を憎みます。

 

 キリスト教が宗教となり、聖書がクリスチャンの書物、イエス・キリストがクリスチャンの神となってしまっているからです。

 

 ゴスペルマジシャンRITOさんは、牧師の家庭で育ったクリスチャンでした。小学生中学生の時、宣教師が見せたマジックに魅せられて、マジックに夢中になったそうです。その後、音楽で活動していましたが、心が満たされませんでした。

 

 子どもの頃夢中になったマジックに喜びを味わっていた自分を思い出しました。そして、マジックを神のために使うことを考え、そのためには、福音の知識を正規に学ぼうと神学校で学びました。

 いま、国内外の学校や福祉施設などでショーを行ったり、企業のイベントを行っておられます。そのマジックには、聖書をもとにした喜びや優しさや生き方が表現されています。

 

 RITOさんは、マタイ25:14-30のタラントのお話から、自分のタラントについて考えました。タラントは用いなければ、主人である神から喜ばれません。神が一人ひとりに預けたタラントを清算される時が来ます。タラントを預けた主人は、1タラント預けていた者が地の中に隠して置いた事を知り、役に立たぬしもべを外の暗闇に追い出す、という記事があります。

 

 これは、天の御国の譬えです。一人一人、神からタラントが預けられているのです。音楽をやっていても心が満たされなかったRITOさんは、自分に預けられたタラントが何かを考えました。そして、子どもの頃、わくわくしたマジックに思い至ったのです。

 

 神から預かったタラントは自分のうちにあります。どこかに行って探し求めて得るのではなく、自分の中にあるものです。

 

 初めて訪れた木造の小さな教会を目にした時、「山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう」という言葉を思い起こしました。山の向こうの遠い国に幸いが住むと言うが、捜しても探してもそこに辿り着けない。もっともっと遠くに行かなければ。しかし、この小さな木造の目の前の家の中にその入り口があるように、直感で思いました。探している幸せは、地に属するものではなく、天に属するものでした。

 

 「しあわせの青い鳥」の話を思い出しました。青い鳥を求めて遠くに旅しても見つかりません。外に追い求めていた青い鳥は、自分の家の中にいたことに気づくというお話です。

 

 タラントは自分のうちにあるのです。それは、わくわくするものです。重荷ではありません。タラントを用いることが、主人(神)の喜びです。

 

 神が預けたタラントは、それを得るために努力しなくても、自分のうちにすでにあるものです。本人が気づいていないだけです。他人の言葉で気づくのかもしれません。

 

 神学院生の時、ある講義で宿題が出されました。テーマを決め、ショートメッセージを書いて提出することでした。次回に講師が、一人一人のメッセージについて評価を発表されました。私の評価は、「あなたはメッセンジャーです」でした。女性の説教は、話がどんどん広がってテーマから外れ、最終的に何を伝えたかったのかわからなくなる傾向がある。しかし、あなたはテーマから外れることなく、話を広げたあとに、テーマに戻り、伝えたいことがちゃんと届けられる、というものでした。

 

 卒業後、預言の賜物の働きをしている牧師ご夫妻に祈っていただいた時のことです。「神は、鍵谷さんに神の奥義を知らせるといわれます」と神のことばを取り次ぎつつ、「何故、鍵谷さんなんかに」とつぶやかれたのです。

 

 神がタラントとして預けられたことに忠実であることが、天の御国の生き方です。

 

 音楽のタラントの人は、音楽を通して神を讃え神に出会います。美術のタラントの人は、絵や工芸を通して神を仰ぎ神を知ります。マジックのタラントのRITOさんは、マジックを通して神を愛し神を体験します。

 

 私は、神に預かったタラントで、人々に今の時代を知らせ、神の国の備えを呼びかけるのです。働きに関して、イザヤ書59:11,12が与えられています。水の枯れない源のように生ける水を流し、破れを繕う働きをしたいと思います。