ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神はそのしもべに現される

 

 M兄弟がケン・ピータースの動画のことを教えてくださいました。感謝します。この動画によって、終わりに起こることがより鮮明になりました。黙示録が立体化しました。黙示録のことばに、息が吹き込まれたように感じました。

 

 マタイの福音書24:34-36で、「まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、誰も知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます」とイエスが語っておられます。

 

 人々は、イエスも知らないと言っておられるのだから私たちが知れるはずがない。父だけが知る「時」を、人がとらえようとするなどとは、人の高慢であり、神に対する冒瀆である。そのことに触れる人は異端者である、と警戒してきました。

 

 しかし、イエスが語られたのは、二千年も前のことです。その時代の人々が知らなくてもいいことでした。その時代に起こることではないからです。その時代その時代の役割があります。

 

 アモス書3:7には、「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない」とあります。

 

 イエスが語っておられた、世の終わりの時、主キリストの再臨の時が近づけば、主は、そのはかりごとをご自分のしもべ達に示されます。何故なら、それが神の流儀だからです。突然起こるようなことはされません。

 

 世の人々にとっては、突然のように感じますが、神に従うしもべには、前兆を知らせ、その時を知らされます。ノアは雨が一滴も降らない時から神のお告げに従い、七十年の間、箱舟を造り続けました。世の人々はそれを見ていながら、何も悟ることが出来ませんでした。

 

 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は飲んだり食べたりめとったり嫁いだりしていました。彼らは、世界が滅びることを信じていませんでした。今までと同じように世が続くと考えていたのです。大雨が降り続き、洪水が来てすべての者をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。

 

 それと同じことが、終わりの時に起こるのです。ノアも洪水がいつ起こるのかは知りませんでした。しかし、神に従い箱舟を造りました。五十年もの時をかけても、雨の降る様子はありません。しかし、ノアは造り続けました。箱舟が完成すると、ノアとノア家族は、ノア家族と動物の食糧を集めました。神は語られました。「あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去る。」

 

 ノアは神に言われるまま、箱舟に入ると、神の霊に導かれて動物が雄と雌二匹ずつが箱舟のノアのところに入って来ました。神は、神に忠実なしもべに、時を知らされるのです。

 

 1900年代に入ると、神は各国に、終わりのことを告げる者たちを起こされています。故ケン・ピータースさんの動画は、映像で見た彼の体験談です。ケンさんは、それが終わりの時代のこと、黙示録に記載されていることであることを、知りました。この証によって、黙示録の文字が生き生きとし、肉付けがされます。

 

 死人の甦りは、こういう事かと納得しました。映像で墓場を見ていたケンさんの証言です。ケンさんはこの時、クリスチャンではなく、黙示録のことばも知りませんでした。

 

 「地面が開かれていて、まさに土が激しく爆発したようで、人がまさに墓から飛び出して来る。ある墓石の人は出て来ており、ある墓石の人は何の変化もなく眠ったままである。ある種の人たちが墓から飛び出したかのようだ。それはとても激しくて、地面が開かれるような感じで、実際に土が飛び散るのも見えた。これは一部の地域の出来事ではなく、世界中で起こっていた。

 墓から出て来た人たちはキラキラ光る、下まで垂れたクワイア―のガウンのような長い衣装を着ていた。彼らの衣装もからだも太陽のように輝いていた。幼い子どももお年寄りも成熟さと若々しさがあった。

 墓から出て来たこれらの人たちは突然消えてしまいます。どんな風に居なくなったか、どこかに連れて行かれたのか、どう隠されたのかもわからない。彼らがどこかへ行く様子は見ていなくて、忽然と姿を消した。地球上にいる人は、誰一人として変えられなかった。

 そしてどこへ行ったかはわかりませんが、これらの人が姿を消すやいなや、もの凄い半狂乱な状態が、地球を襲い始めます。人々は見るからに絶望的で、半狂乱で、無法地帯、混乱、不法、恐れがそこら中に満ちて、世界中がこの状態だ。見たこともないほどの速さでそれは起こった。」

 

 これは、携挙の状況を見たのでしょう。テサロニケⅠ4:16-17に、「キリストにある死者が、まず初めに甦り、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ」とあります。

 

 ケンさんは、「地球上にいる人(生きている人)は誰一人として変えられなかった」と言います。これをもって、携挙反対派の人々は、生きたまま天に引き上げられる携挙なんて無い、と言うかも知れません。また、ケン・ピータースさんはすでに昇天しておられます。生きたまま天に引き上げられる教会に属する人ではないので、携挙の奥義は彼には啓かれなかったのでしょう。

 

 しかし、テサロニケの手紙では、キリストにある死者が甦ったその次に、生き残っている者が、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられることが書かれています。生きている人が甦った死者と一緒に引き上げられるのです。

 

 ケンさんの見た映像によれば、死者が甦るとすぐに、忽然と姿が消えるようです。マタイの福音書27:51-53には、イエスが十字架で息を引き取られると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂け、地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返って、聖都に入って多くの人に現れたという記述があります。

 

 ケンさんの映像によれば、終わりの時代の復活は、墓から出て来ると、甦った死者はすぐに消えてしまいます。地上を歩き回るわけではありません。この死者の甦りとともに、生きているキリスト者が、人の目に見える状況ではなく、地球全体から一挙に引き上げられるのでしょう。甦った死者が引き上げられるのを、ケンさんは見る事ができませんでした。生きたまま引き上げられる人もまた、誰にも見ることができません。

 

 このことは、黙示録6:12の第六の封印が解かれたときの大きな地震とともに起こると考えます。太陽が暗くなり、闇が過ぎ去ると、地球の人々は、墓が開いているのを見、また、キリストに熱心だった人々がいなくなっているのに気づくのでしょう。

 

 マタイの福音書28:2に、イエスの復活について、「大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへ転がして、その上に座ったからである」とあります。黙示録6:12の大きな地震は、世界中の聖徒の墓が開いたためでしょう。

 

 携挙の信仰を持ちながら、取り残されたクリスチャンは、携挙が起きたことを知り、半狂乱になるのだと思います。