ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神は愛なり

 

 創造主は、愛です。生み、育て、喜びと楽しみで満たして下さる方です。アダムとエバは、この方のもとで、何不自由なく、いのちを楽しんでいました。アダムとエバが置かれたエデンの園は、自然豊かな環境で、神が造られたもので満ちていました。すべてのものが、神のいのちを楽しんでいたのです。

 

 神の栄光の輝きである被造物は、神に安息し、喜びと調和がありました。神から与えられたものを楽しんでいました。すべてのものが満足する世界です。創造主の愛にくつろぎ、造られたままの姿を愛し喜びに満ちていました。

 

 他と比較するものはありません。それぞれが創造主につながり、創造主の愛に満足していたのです。

 

 創造主は、すべてのものを生み出した父です。ひとりの神によって、天体も山も海も石も植物も生き物も人も造られたのです。エデンの園には、人が造ったものはありません。神がすべてを備えて下さいます。人は、神が造られたものを管理する役目をいただいていました。

 

 すべてのものは、神のことばによって生まれ、神のことばによって保たれていました。しかし、アダムが神のことばの外に出てしまいました。神が命じられたことばを守らなかったからです。

 

 アダムが神に禁じられていた善悪を知る知識の木の実を食べた時、神のことばによって保たれていたエデンの園の調和に不義が入り、神のことばが伝達できない世界になってしまいました。

 

 神の創造の麗しい世界、エデンの園に乱れが生じ、不調和をもたらしたアダムとエバ。神は、エデンの園の管理者を追放されました。

 

 管理者であるアダムの罪は、被造物全体に及びました。アダムの乱れは、被造物全体の乱れを生みました。創造主が生み出されたものは「いのち」なのに、人は「死」を生みました。そして、アダムの罪は、被造物全体を死に至らせたのです。人はいのちを生むものではありません。死をもたらすことはあっても、いのちを造ることは出来ません。人は被造物の一つなのです。あらゆる生き物と並べられて造られた被造物の一つなのです。人は、神ではありません。創造主ではないのです。

 

 神に背いた人は、いのちから離れ、死に結ばれる者となりました。人だけではありません。すべての被造物が、滅ぶものとなりました。永遠のものはありません。永遠は、永遠の昔からおられる神と神の霊と神のことばだけです。天使も神の権威のもとにいなければ、永遠のものでは無くなるのです。

 

 神は愛であり、義なるお方です。聖なる神のもとで、不義は存在することができません。直ちに不義は消滅します。神には暗いところが無く、全き光です。聖なる光には影がありません。影は永遠のものではありません。消えゆくものです。神のもとに、永遠でないものは存在しません。

 

 愛なる神は、悪魔によって乱れが生じた天を回復する計画を持っておられました。平和な義の世界を回復されるのです。そこで、管理者として人を造られました。神のひとり子のために神のことばのうちにある者として造った「人」が悪魔の手に落ちたのです。

 

 神は愛です。神の国の管理者の役目を持つ「人」を取り戻すために、神のひとり子が、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、父に従い、人間と同じように肉体をもつ「人の子」となって、地上に下り、イスラエルに来られました。

 

 「人の子」は、神の子羊イエスとして、来られたのです。神の被造物の秩序と、神との調和を乱したアダムの罪の身代わりとなって、人と被造物を救うために来られたのです。

 

 神が天から遣わされた人の子イエスは、義なる神の怒りをなだめる生贄の子羊です。罪の赦しには、血の犠牲が必要です。血はいのちだからです。神のご計画は、地上の赦しではなく、天上にも通用する赦しです。イスラエルは地上の赦しのために、毎年、生贄の血を流して来ました。

 

 イエスは、原罪の赦しのための生贄となられました。原罪が赦された者は聖いのです。原罪のために、何度も生贄を献げなくてもよいのです。ただ一度、キリストが傷のないご自身を御霊によって神に献げ、十字架で血を流されました。神の子羊イエス・キリストの贖いの血は、天のまことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

 

 神は、憐れみにより神のひとり子の十字架の死によって人の罪を赦し、愛により人を神の子として御霊によって新しく創造し、人を神の御国の相続者として下さるのです。

 

 永遠のいのちは、神のもの。神は、神の子羊イエス・キリストと一つとなったキリストのからだに、永遠のいのちと復活のからだを与え、神の御国で永遠に生きる神の子として下さるのです。

 

 生きとし生ける者のうち、いのちを慈しみ大切にした者や、憐れみ深い者や、愛のある者や、情け深い者は、千年王国に招かれるでしょう。また、不当な扱いを受けて苦しんだ者や、救いを求めて叫んだ者や嘆いた者や、悲しむ者やこの世に心傷めた者たちも千年王国に招かれるでしょう。

 

 神の愛は小さな者たちに向けられています。虐げられた弱い者や、蔑まれ嘲られ、故無く嫌われ憎まれた者たちにも、神の憐れみは注がれています。

 

 愛の神は、千年王国で、愛の欠けたところを補い、愛を全うされるのでしょう。神の目はすべての者に注がれています。愛の神のはかりに狂いはないのです。

 

 創造主は、創造したすべてのものを愛しておられます。少しでも見込みのある者を捨て置かずに、千年王国で新しい創造のチャンスを与えられるのではないのかと思います。