ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の働きのために立つ勇者

 

 人は、数を見ます。神は、数を頼みとはされません。

 

 聖書的に言ったら、多数派はこの世の者です。人間から出ています。神の部隊は、少数派です。

 

 士師記7:2、3には、このような記事があります。

 そのとき、主はギデオンに仰せられた。「あなたと一緒にいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。

 今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい。』と言え。」

 すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。

 

 神は、七年の間、イスラエルをミデヤン人の手に渡しておられました。それで、イスラエル人はミデヤン人を避けて、山々にある洞窟や、洞穴や、要害を自分たちのものにしていました。イスラエルはミデヤン人のために非常に弱くなっていたのです。イスラエル人がミデヤン人のために主に叫び求めました。

 

 主の使いがギデオンに現れて言いました。「勇士よ。主があなたと一緒におられる。」ギデオンは、ミデヤン人から逃れて、ミデヤン人の目の届かないところに居ました。勇士とは言い難い状態でした。しかし、神の使いは、そんなギデオンを勇士と呼びました。恐れるギデオンを勇気づけました。

 

 ギデオンはミデヤン人と戦うために、民を集めました。しかし、神は、「多すぎる」と言って、民を帰らせたのです。七年間、支配していた強いミデヤン人を打つのに、イスラエルの民は多ければ多いほど優位に立ちます。しかし、神は、神の戦いをするのに、多くのイスラエル人を必要とされませんでした。

 

 神は、恐れ、おののく者をみな帰らせました。神は、戦いを望まない者や渋々従う者を必要としないようです。

 

 人の勇気はそれぞれです。勇気のある者だけを残されました。残った者は、一万人いました。一万人の人は、戦うことを恐れず、勇気を持っている人です。

 

 士師記7:4で、神は、まだ多すぎると言われました。

 すると、主はギデオンに仰せられた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水のところに下って行け。わたしはそこで、あなたのために彼らを試そう。わたしがあなたに、『この者はあなたと一緒に行かなければならない。』と言うなら、その者は、あなたと一緒に行かなければならない。またわたしがあなたに、『この者はあなたと一緒に行ってはならない。』と言う者はだれも、言ってはならない。」

 

 神は、勇気のある一万人を水のところで試し、戦いに必要な素養のある者を選ばれました。戦士としての素養があると認められ残った者は、三百人だけでした。その他の者を、家に帰らせました。

 

 神が必要とされた戦士は、三百人でした。数ではありません。神は、実力者を立てられます。恐れ、おののくことのない、勇者を選ばれました。主の戦いのために立ち上がる人は多くありません。それは神も知っておられるのです。

 

 恐れ、おののく者を、無理矢理戦いに駆り出すことはされません。戦う勇気があっても、神の戦いを担えるものかどうか、試されます。

 

 主は、ギデオンに言っておられます。「わたしはあなたと一緒にいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」(士師記6:16)

 

 主は、ギデオンとともにおられました。ギデオンに、主への信頼と、勝利の信仰が置かれました。神の戦いは、人の戦いではありません。霊の戦いです。主が一緒におられるなら、ギデオンと三百人の信仰で、勝利するのです。人に必要なのは、信仰です。

 

 神は、ミデヤン人に同士討ちが起こるようにされました。イスラエルが勝利しました。

 

 神には、三百人で十分でした。神の力で勝利するのです。神の民の勝利は、神の栄光です。神は、この世の栄光や人間の栄光を望んでおられません。栄光は、天にあるのです。

 

 まさに、天の軍勢の賛美の通りです。

 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:14)

 

 人間のものは多数派。神のものは少数派です。神の御国では、これで良いのです。神の栄光が現れる時、御心にかなう少数派の人々の心に平和が訪れます。地に属する多数派の人々は、憎み妨害するのです。

 

 神の力は、数ではありません。神の力は、神と心一つとなった信仰です。

 

 地の人々が、「平和だ。安全だ。」と安心しているときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。(テサロニケⅠ 5:3)

 

 世が、霊的にどんどん悪くなりますが、天に望みを置く人々は目覚め、神の御国のために整えられて、信仰が堅くなるのです。

 

 神の働きのために立つ勇者は、多くはありません。しかし、主を知る者たちに任された働きです。神の民が、神に信頼して立つならば、日本は、神の祝福を受ける国となるのです。