ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イエスを信じる二種類のユダヤ人

 

 ユダヤ人がイエス・キリストを信じることは容易いものではありませんでした。ユダヤ教徒たちは、メシアはまだ世に来ていないと考え、今もメシアを待ち望んでいます。

 

 メシアは、死なないのです。永遠に生きる、神に油注がれた者です。イスラエルのメシアはイスラエルを平和にする人なのです。

 

 約四千年前、神がアブラハムを選び、アブラハムと契約を結ばれました。アブラハムは多くの国民の父となり、妻サラは国々の母となるのです。神は、アブラハムとサラのひとり子イサクに一つの民族を造られました。それが、ユダヤ民族であり、イスラエルです。

 

 イスラエルは、多くの民族の中で、神に聖別された神の民として生まれました。神のご計画のために、イスラエルは造られたのです。

 

 アブラハムには、妻サラの女奴隷ハガルとの間にイシュマエル、不妊の妻サラとの間に神が与えた約束の子イサク、妻サラ亡き後に、もうひとりの妻ケトラを娶り、ケトラとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハの合計八人の息子がいましたが、神が契約を立てた約束の子は、妻サラが生んだイサクただひとりでした。

 

 神がアブラハムと契約を結ばれ、そのしるしとして、アブラハムは割礼を受けました。イシュマエルは、契約のしるしである割礼を受ける前に生まれた子どもでした。アブラハムが神との契約のしるしである割礼を受けた後で、生まれたのがイサクでした。

 

 神は、アブラハムの妻サラがアブラハムに産む男の子と契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする、と仰せられたのです。また、神は、アブラハムに「あなたはその子をイサクと名づけなさい。」と命じられ、イサクは、神に命名されました。

 

 最初に神と契約を結んだのは、アブラハムでした。神が、アブラハムの契約を受け継ぐ子は、アブラハム自身から生まれ出て来る者でなければならない、とされました。

 

 神は約束通り、閉経後の年老いた90歳の妻サラの胎に、イサクを身籠らせられたのです。人が遅すぎると思っても、神に、不可能はありません。神は、アブラハムに仰せられました。

「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる。」

 

 イサクに、双子の男の子エサウとヤコブが生まれました。イサクの妻リベカの胎にあるときに、主はリベカに仰せられました。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」

 

 神は、母リベカの胎内にあるときから、弟のヤコブを選んでおられました。神がアブラハムと結ばれた土地の契約の跡取りとして、ヤコブの子孫は四百年間、エジプトの地で奴隷となりました。

 

 ヤコブの子孫は、エジプトの地で増え広がり、ユダヤ民族となり、また、アブラハムの契約を受け継ぐイスラエルとなったのです。イスラエルは、モーセとアロンに率いられて、奴隷の家エジプトを出て、先祖の約束の地、父祖、アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとレアの墓がある、カナンの地(現イスラエル)に向かったのです。

 

 神は、モーセに十戒を与え、イスラエルと契約を結ばれました。このイスラエルから永遠の契約を結ぶ、「人の子(メシア)」を生み出されるのです。

 

 メシアは、神の御子であり、神がイスラエルに遣わされた、罪を贖う神の子羊イエス・キリストです。イエスは預言通り、ベツレヘムの地で処女から生まれ、ダビデの子孫に数えられた「人の子」です。イスラエルが神の約束を信じて、神との契約である神の律法や規定や祭りを守りつつ、待ち望んで来たメシアは、十字架につけられたナザレのイエスでした。

 

 イスラエルは、メシアは永遠に生きる方で、死なないと信じていました。しかし、肉体をもって来られた神の子羊イエスは、生贄となって十字架で屠られたのです。神の子羊は、神が天から遣わされた、罪の身代わりの子羊です。

 

 神の子羊イエスは、人々を救うためではなく、贖いの血を流して、罪人の罪を赦すために来られたのです。罪が赦された者でなければ、神の国に入ることが出来ません。神の子羊イエスは、人の罪を取り除き、聖霊を与えて、聖なる者とするために来られたのです。

 

 ユダヤ人としての契約を守りつつ、イエスがメシアであると信じた人々を、「メシアニック・ジュ―」と呼びます。キリストを信じた後も、ユダヤ教の教えを土台としているユダヤ人です。アブラハム、イサク、ヤコブ、イスラエルの契約を土台として、神の選びの民ユダヤ人としてのアイデンティティーの上に建て上げられている信仰です。

 

 神の民イスラエルの枠に入らず、ユダヤ民族を特別な民とは考えないで、異邦人のキリスト信者を主にある兄弟と考え、ユダヤ教の土台を重要視しない、キリストとの新しい契約に立つユダヤ人は、「ユダヤ人ビリーバー」と呼ばれます。

 

 ユダヤ人ビリーバーは、ユダヤ民族の律法やしきたりに縛られず、ユダヤ教徒やメシアニック・ジュ―からも、ユダヤ人ではなく、契約の外にいる異邦人のようだ、と思われています。しかし、彼らもまた、神に与えられた役割を持っているのです。

 

 「取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っている」と、イエスが言われた人々です。

 

 ユダヤ人ビリーバーは、異邦人信者とともに、メシアニック・ジュ―やユダヤ教徒たちよりも先に神の国に入るのです。

 

 メシアニック・ジュ―やユダヤ教徒たちは、ユダヤ人ビリーバーが忽然と姿を消すことで、終わりの時が来たことを知るのです。

 

 「いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」(マタイの福音書24:32-33)

 

 ユダヤ人ビリーバーと異邦人クリスチャンは、患難期に入るしるしとなる人々です。彼らの携挙は、メシアニック・ジュ―のためのしるしとなります。御使いたちが、天の果てから果てまで、四方から選びの民を集め、彼らは、一挙に引き上げられるのです。

 

 ユダヤ人ビリーバーとメシアニック・ジュ―に優劣はなく、それぞれ神が定められた任務を負っているのです。お互いに侮ることなく、裁くことなく、それぞれの役割を担うことを神は、良しとされます。